その9・無知と知識のロックンロール


 その一、羽香は平然と目の前に対処していた。
「ちょっとお、お菓子食べながら寝るのやめてよね!」
 その二、香流は頭の中が真っ白に固まっていた。
 その三、第三者たるべき人物は慌てふためきながらも無意味に服に付いたお菓子のくずを払ったりしていた。
「あ、ちょっとお! そこらに落とすなって言ってるでしょ!」
「って言うか、なんでいきなり久樹が居るんだ!」
「親友だからに決まってるでしょ、今夜は急遽パジャマ・パーティするんだから。とっとと自分の部屋にお戻り!」
「って、犬じゃねえし!」
 しっしと追い立てられたのは、香流にとっても大変見覚えのある男性と言うより男子生徒だった。
「真……家主が居ない間に入り込むのは刑法で禁止されている気がするぞ」
「って、突っ込む所はソコですか?」
 構内でも有名人、緋女真……通称を姫様。
 何やら、制服でもなんでもないラフな服装で当たり前の顔をして当たり前の態度で当たり前の格好で、当たり前にそこにいる……あくまでも、自然に。
 これは……どうやら昨日や今日の関係ではないのだろうと。ひどく冷静に分析する自分自身を、香流は発見していた。もちろん、動揺だって激しくしているが。
「ああいいのよ、姫様ったらいつの間にか鍵ゲットしてるんだもん」
「それは酷い言い草だなあ、ちゃんとくれるって言ったじゃないかあ。証拠の品だってちゃんと録って……」
 証拠の品といって、持ち出したのはテレビショッピングで御馴染みの音声を録音できるICレコーダーなのだが……。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ! 言うな、出すな、蒸し返すな! って言うか、香流の前と言うより他の人が居るまではやめろぉっ!」
 握りこぶしを掲げて近づく羽香から逃げる真は、結構運動神経が良いのだろうと香流は判断した。今でこそなまっているとは言っても、それでもやはり。運動系の部活やら格闘技をやっていない人よりは十分に脅威なので、その実力を知っている人にとっては逃げ出すタイミングを間違える事は同時に死を表している。
「ブレイクブレイク……って、こんな感じですが?」
「なるほど……大変理解した」
「って、何を理解したのよぉっ!」
 顔を真っ赤にさせながら言う羽香は、それでも慌てて部屋の片づけをしながら真を部屋から追い出しにかかる。
「いいっ! 今夜は二人っきりで夜通し遊ぶんだからね、勝手に入ったりしちゃダメだし許さないんだからね!」
「そんな怒らなくても……」
「判ったの、判ってないの!」
「はい、判りました……じゃあ、久樹姉。またな」
 状況が、全く持って判らない場合。説明を求めるのは当然の事だろうと思う。
 大体、ここまで連れてきて真を見られて。それで説明なしで問題なしと思う方が、どうかしていると言うものだ。
「ええと……お茶とジュース、どっちにする?」
「では、紅茶でもいただこうか。せっかくケーキがあるのだし」
 しかし、物事は順序が大切であり。焦る事は時として必要ない事を、香流は知っている。
「つまり……ね?」
 ロールケーキを二人で分け合って、入れた暖かい紅茶を飲みながら、ぽつりぽつりと羽香は話始めた。
 話としては割りと簡単なもので、羽香は中学受験が終わった頃から夜遊びをする様になり。それを心配した香流が付き合い、年齢を偽って入ったクラブで男と知り合っては見たものの良い様に使われてる感じがしていた頃に真が同じ中学に転入。近くに引っ越してきた事を知ってはいたが、それまでは特に何と言う事もなく。
「でもね……一度、当時の彼がさ。私を……売ったって言うの? なんか、逆らえない人に一晩貸し出すみたいな話になっちゃったとかでさ」
 当時、羽香は中学二年だった。
「呼び出されて、普段はバイトばっかりですごく忙しい人だから滅多に呼び出しとかも無くてさ。でも、向こうにしたらヤな奴っていうの? だって中学生にしてマンションに一人で暮らして、親の金で生活費だって心配ないんだから……だから、本当は好きとか嫌いって感情すら。本当はなかったんじゃないかって、そんな気が今はするくらい……」
 両親は大分落ち着いてきたと言う話ではあったが、それは仲良くなったと言うのではなくお互いの存在を無視した上での結果であって根本的には何も変わってはいない。それでも、その状態が一番二人にとって良いのであるのならば放っておくしか羽香に出来る事は無いと思っていた。本来、夫婦間の楔になるはずの羽香の存在は二人にとって邪魔なもの、憎しみの象徴とも言うべき存在に変化していた……羽香自身は何も変わらなかったのに。
「私……その途中で、どうしようか迷った。別に、あんな奴ら一人でもどうにでも出来るって自信があったせいかも知れない。腕っ節だけだったら道場で鍛えてたし、学校でもたまにだけど少しは部活参加させてもらったり……だけど勉強の邪魔とかになったら直ぐにママの所に連絡行くから一日体験くらいの柔軟くらいなんだけどね?
 でも、下手に抵抗したら寛治が……カンちゃんって回りにはいわれてたんだけどさ、進士寛治って言うんだけど。彼がどうにかされちゃうって言われて、すごく困って」
 だけど、そんな時に真が助けに来たらしい。
「結構、かっこよかったんだよ。アレでも。
 でもクラスには溶け込まない奴だったから……だから、文化祭で舞台に巻き込んだりしてさ。後で結構怒られたんだけど、同じ学校の出身者は当時のこと覚えてたから、だから仇名の最初って言ったらそこからなんだよねえ」
 相手が中学生だと知っててこんな事をしてるのか、警察が踏み込んでくるけどそれでもいいのか。そんな事を言って暴れて、全ての責任を男達に押し付けて、無理やり羽香を連れ出したのだそうだ。
「あの時ね、本当に警察呼んでたんだって。
 後で、知った……カンちゃん、その時居なかったから捕まらなかったけど。カンちゃんにさせた人が捕まって。良かったけど悪かったとかって、言われて」
 そして、真は羽香を連れ出してから馬鹿呼ばわりした。
「最初はね……すごく、腹たって。でもね、判ってたから。自分が何を馬鹿な事してたのか、判ってたからさ……」
 男の、誰かの思うままに生きると言うのは単なる道具に過ぎないと言う事だ。
 道具になると言うことは、自分自身を無くすと言う事……自分自身を持たないそこに、届く思いもまた、存在しない。
「色々……あったんだよ、私にだって」
「うん……その様だな、私は……気づかなかった。気づこうともしなかった。
 香流は、こんなにも羽香の為に頑張って。色々と助力をして、側に居た」
「いや、ねえ? だって、言えないじゃない? やっぱり。
 比良ってそう言うの興味ないって言うか、自分のことは自分でみたいな所あったし。
 それに……嫌な言い方しちゃうと、きっと今の比良だってやっぱりねえ? 興味なくなったって言うか。まあ、こっちもこっちで大分落ち着いてきたからってのもあるんだろうけど……さ」
 苦笑するのは、多少は強がりがないとは言えないのではないかと言う気がする。
「ふむ……ならば『私』ならば問題はないのか?」
 心持ち、意地悪な気分がないとは言えないのが困ったものだ。
「ええと……いや、ねえ? だって、今は香流でしょ? そりゃあ、前は比良だったかも知れないけど」
 かも知れないではなく、本人達にとっては現実にそうなのだが……まあ、それは理解しろと言われても無理な話だろう。
「それにねえ、変かも知れないけど。前の香流よりも今の香流の方がなんか好きなのよね、自然っていうか」
 それは、普通の人ならば「成長」と呼べる類のものになるのではないかと言う気がするのだが。確かめるのは何か、そうしたくない気がして上手く聞けない様な気もして実際に聞くことが出来ない。
「うん……それは変だ、おかしい」
「そんなはっきりきっぱりさくっと言わなくてもいいじゃない……なんか傷つく」
「……こう言う場合は『済まない』と言うべきなのだろうか?」
「いや……悪かったと思えば言えば良いんじゃないの? って言うか、比良だった頃はどうしてたの?」
 比良だった頃、口数などほとんど無くても問題は無かった。
 ただでさえ、側には廉くらいしか居なかったというのもある。それは問題があったとか言うのもあるが無かったとも言えるからで、それはどこからどこまでが問題で違ったのか、今の香流にはもう判らない。
「まあ……いいけど。
 でもさ、そんなにおかしい?」
「ああ。何故なら、私はずっと男として育ってきた。肉体的にも精神的にも、それを求められてきたのだから、今更ではないだろうか?」
 難しい話だ、理解しろと言われても全てを理解する事は不可能だ。
 香流や比良本人ですら理解していない事を、当事者でもない羽香に理解しろと言うのも酷い話だと言うのもある。
「そう言われればそうだけど……でも、そうなんだからどうしようもないんじゃない?」
 誰でも、己で理解も納得も出来ない事を誰かに説明するのは難しい。
 どちらかと言えば、不可能といっても差し支えないだろう。
 ただ、不思議な事に。本当に不思議なことに、世の中には当事者だからこそ判らない事や判っててもどうにもならない事と言う物事は存在してしまう。
「私、多分今の香流の方が前の香流より好きかも知れないって気がする。
 だから、最初は信じられなかったけど香流と比良と見比べて、やっぱり違うんだなって気がしたのよね。だから信じる気になったんじゃないかな?」
 多分だけど、と続ける羽香の言葉は真由美に通じるものがあると香流は思った。
 二人、並べてみれば判ると。
 それでは、何故これまで並べて見た人たちにはわからなかったのだろうか?
 友達だとか、クラスメイトだとか、近所の人だとか言うのはまだ判らなくはない。否、判らない事がちょうど良かったし助かったと言うのもあるのは確かだ。
「だが……私達を見抜いたのは、廉だけだった……」
「え?」
「……いや、大した事ではない」
 頭を振った香流は、何かを頭の中から追い出したがっている様に見えた。
 ぽつりと呟かれた言葉は、距離が近いにも関わらず羽香には届かず。聞き返しても答えてくれない香流を悲しげな顔で一瞬は見たけれど、それでも香流は気が付かなかったし羽香もそれを表に出す様な事はしなかった。
 いつか、香流は口にしてくれるかも知れないから。
「羽香、聞かないのか?」
 一瞬ではあるが、羽香は何について言われているのか判らなかった。
 そして、頭の中で検索して二つの対象に絞り込むことまでは上手く行った。だが、それから先の選択については……よく判らない。
 今、香流が言わなかった事についてなのか。それとも、香流がここに居る理由についてなのか。
「聞いて欲しかったら言うでしょ?」
「それは、今までの『香流』だったらの話ではないのか?」
「いや、だって普通はそう言うものじゃないの?
 第一さ……言いたくない事だったら死んでも言わないんじゃないの? なんて言うの? 誇りにかけてって感じで?」
「死んだら……どちらにしても言えない気がするが……」
 いや、そこは天然ボケらったしなくていいから!
 羽香は正直、ツッコミを入れるのを我慢するのにとても努力を必要としていた。下手にツッコミなどを入れてしまうと、この無頓着な精神的無防備女は即座に話題が切り替わってしまうのを高校入学から一週間で学習していたからだ。
「んじゃ、半殺しでもいいけど。言いたくないから言わないんじゃないの? 違う?」
 基礎が足りてないのに、いきなり応用をしろと言われる状態になっている様なものなのだから同情くらいはしたいのだが。それも延々と続くと……流石に少しばかり疲れる。
「どうだろう? 聞かれなかったから言わなかったというのが正しい様な気はする」
 人類は日々成長するもので、香流も微妙に成長しているのだと思いたいが。何しろ、流石に女子トイレと女子更衣室以外はほとんど廉がぴったりガードしている様な状態なのだから無理もないと言えば無理もないとは言え、香流の真面目な面が暴走している様に見える時の方が余程多い。しかも、両手放して笑い話になったまま放置していると言う新技を身につけてしまった羽香は己のツケが回ってきた事を思い知っていた。
「別に……それでも悪いとは言わないけど、ね?」
 痛恨の一撃と言う言葉が、羽香の脳裏には浮かんでいた。
 日々の地道な努力と言うのは、やはり必要だ……香流は基本的に昔も今も一つの事に夢中になると頑張ると言う事を怠らない。それは良いことだと思うのだが、やはり基本的に一番近い存在が「あの二人」だと思うと今後は益々心配になってしまう気がした。
「どうかしたのか、羽香?」
「ええと……いやね、うん……まあ……」
 ああ、どう言えば理解してもらえるんだろう?
「どうした、何か問題でもあるのか?」
 羽香は勉強以外でほとんど使わない脳みそをフル回転させてみた。しかし、慣れない事を急にしたところでろくな考えなど出るわけもなく。
「あるって言えばあるし、ないって言えば無いし……」
 恐らく、思ったまま正直に言えば香流は「どう聞けば理解出来る?」などと酷く真面目に返答するに決まっている。
 いっその事「香流の存在そのものが問題! だけど問題じゃないし!」とか言えればすっきりするかも知れないが、香流の性格から考えたら余計な事を余計に考えたあげく、何やらとんでもない答えを勝手にひねり出しそうな気がして、その方が怖い。
「……香流? コレ何?」
「食べ物だ、食料とも言う」
「いや、そうじゃなくて……」
「商品名はポテトチップスだ」
「そうでもなくて……」
 このやり取りを、香流はとてつもなく真顔でされるのだから。
 羽香としてはツッコミを入れるべきか真顔で返すべきか、それともこちらもギャグで返すべきなのか迷ってしまう。
「まずは、食べるべきだ。そして騒ごう、そう言ったのは羽香だろう?
 それでいて、まだ悩んでいるのならば相談に乗ろう。私で駄目な事ならば真を呼ぼう、廉でも良いしアレでも良い。可能ならば呼びたくはないが、な」
 真顔なのだ、思い切り真顔。
 つまり、本気。
「まったく……なにそれ、私の真似?」
 苦笑。
 以前の香流ならば、きっと茶化して笑い話にしながら上手く聞きだしていただろう。
 実際、両親のことで悩んだりしていた時はそんな風に聞かれたくない話をもぎ取られていた気がした。時々、その事で突付かれて遊ばれたりもして、それはそれで気分転換になる事もあったが逆に過ぎて怒る事もしばしばだった。
「私は理解が浅いので、形から入ってみる事にしただけだ」
「それで上手く行けば良いけどねえ……」
 憎まれ口を叩いてみるけれど、びくともしない様子を見ると不思議な気分がする。
 中学から高校と言う成長過程を経ているのだから、流石に細かい微妙な所は変わっているのは当然だけれど。それでも違うのだと納得してしまう、けれど香流と比良は二卵性でも双子なのだ、同じ屋根の下で暮らす家族なのだとも。
「上手くいかなかった場合は、次の策を模索するだけだ。
 幸い、私は一人ではないからな。良き相談相手もある事だし」
「相談料は安くないわよお?」
 優しいのだ、基本的に。
 ただ、その優しさの使い方が違うだけで。だから、この不器用になってしまった幼馴染を愛しく思い。急に器用になってしまった幼馴染から興味を失い、幼い頃から気に食わない幼馴染は、やはり気に食わないままなのだろうと言う気がする。
「現金に固執する性格だったか?」
「一人暮らしって、結構物入りなのよ?」
「食費は二倍だからか?」
 飲み物を口にしていた為に、噴出した被害は……甚大だ。
 けれど、香流は側にあった台布巾で即座に拭いてくれるし。これが過去だったら笑いながらティッシュボックスを放り投げてくれただろう、例えば何気ない一言が原因だったとしても。
「に、二倍って……」
「真の分は持参なのか?」
「うう……後悔って役に立たない……」
 羽香は、どうして己の部屋に連絡を入れるなり真に連絡を入れるなりして帰るまでに出て行けといわなかったのかを激しく後悔した。しかし、香流に見られてしまった事実は変えられない。口止めをしておけば口は割らないだろうとは思う、特にかつて比良だった頃の香流となった今では尚の事だ。
 しかし……それはそれ、これはこれ。
 恥ずかしいと一度感じてしまう事と言うのは、ある程度の山場を超えない限り恥ずかしいものなのである。
「羽香は自炊しないのか?」
「……香流って、御飯作れるの?」
 これでは思い切り「御飯作れません」と宣言している様なものなのだが、自炊しているかどうかなど台所を見られれば一目瞭然だ。
「一応、腹を壊さぬ程度のものならば……学校の調理実習などもあった事だし。それに、母上から手ほどきを受けているので多少ならば」
 久樹家の基本的家訓は「己の事は己で」なので、この男女同権っぽい世の中では男でも食事くらい作れるべきだと言う母親とかで料理を仕込まれたのだそうだ。

 パジャマパーティの夜は、どうやら朝まで続いたらしい。