その8・慎重と大胆の反転


 中学までの比良と、高校からの香流。
 正確には、中学の3年夏休み明けからだが。そんな事はどうでも良い。
「付いて来るな!」
 久樹家の双子と言えば、片方が冷静沈着で氷の表情。何事にも全く動じないコンピュータの様な判断力を持っていると評判で、逆にもう一人と言えばいつでも暴走同然のアクセル全開どころかトップギア三段階くらいのハイテンションだという評判だった。
 だが、誰もが。当人以外の最も身近である筈の廉と双子の片割れですら忘れていたのだ、そんな双子の一人にだって感情くらいあることを。知識としては知っていても、実際にその目で見るまでは噂に知らず踊らされていた。
「そう言うわけには……いかないだろう? やっぱり?」
「近づくな!」
 香流は、着るものもとりあえずと言った感じで歩いていた。
 その後ろを、廉がストーカーよろしく一定の距離を保って付いてきている……一定の距離以上を近づけないのは、単に手刀と言う獲物を持っていない状態でも香流のリーチは長く。その一定の距離ぎりぎりを保っているからに過ぎず、その距離感が余計に香流のイライラを増長させている結果にもなっていた。
 廉は、そんな香流の気持ちはわかるけれど放っておくわけにはいかない。
「そりゃあさ、前と違っておばさん達に一応報告をしてから出かけるのはらしいって言えばらしいけど……」
 律儀にも「姉弟喧嘩をしたので頭を冷やす為に暫く出る!」と言った時、両親は久しぶりの娘の暴走に微笑んだだけだった……心が広いと言うか放任主義と言うか。
「うるさい……私は、私は怒っているのだ!」
「見て判る程度に怒ってるよね、確かに。珍しいけど」
 その時、両親が娘に送った言葉と言えば「警察のご厄介にだけはならない様に」だったのは微妙に問題発言の様な気がする。と言うのも、久樹道場の門下生には一部警察関係や体育大学やらの関係者も結構いたりいなかったりするからだ。
「でも、どっちかって言ったら比良に怒ってるんじゃなくてさ。比良に八つ当たりした自分自身に怒ってるんじゃないの?」
「そうやって妙に事情通な顔をするな、廉!」
「いや、実際に事情通だし……」
 恥ずかしいからとかではなく、単に……警察にお世話になるとやたらと時間がかかるからだ。両親からすれば子供のちょっとした暴走程度で時間をとられるのはどうでも良いのだが、肝心の当事者が一番疲れてる所にそんな余計な事に煩わされるのが可哀想だと言う配慮から来るもので、実は本気で思っていたりする。
「私は、私は……!」
 泣きたいのに泣けない香流の感情は、今まで溜め込んで蓋をして見ないフリをしていたツケだとでも言わんばかりに悩ませていた。
 感情に翻弄されて、肉体のサイクルに翻弄されて、そんな自分自身に嫌悪感すら抱く。
「ちょっと、何してんのよ!」
 珍しく己の思考にはまっていたせいか、それがおきた時には何が起きたのか即座に理解出来なかったのは失敗だと思った。確かに。
「やあ、こんな時間に何してるの?」
 こんな時間と言うほど遅いかと言われると、そろそろ世間では深夜と呼ばれる時間帯である事に変わりはない。
「何してるはこっちの台詞よ!」
「……羽香?」
 突然、香流は抱きすくめられたと思ったら少し高い身長の女の子に後ろへ庇われていた。
 その流れる様な動作に対応出来なかったのは、香流が己に没頭していたからと言うのもあるが、同時に勉強ばかりして鍛えるのをやめてしまったとは言っても基礎はきちんと経験した羽香のなせる技だ。
「何を、なんで香流泣かせてるのよ!」
 実際には、香流は涙など一粒も流してはいない。遠めからでも僅かにうつむいて見えるかも知れないが、それだけの話であってそれ以上でもそれ以下でもない。
「いや、泣いてないし……」
「だから男ってダメなのよ、何考えてんのよ廉のくせに!」
 何故か、羽香は思い切りジャイアニズム炸裂状態である。
 どうしたと言うのか、思い切り廉に向かって噛み付き状態。はっきり言ってサイレンも裸足で逃げるんじゃないかと言う気にさせられるほどの、泣き喚く子犬の方が余程可愛く見えてしまうくらいだ。
「廉のくせにって……」
「ああもう、そこで笑うからあんたって男は大嫌いよ!
 言っておくけど、あんたよりあたしの方がよっぽど香流のが近いんだからね。あんたさえ居なかったら一番の親友はあたしなんだから! いこ、香流!」
「え、ちょ……羽香…?」
「今日は二人でぱっと騒ぐわよ!」
「ちょ、待て羽香……廉っ?」
 目を丸くしているのは香流もだが廉も同じで、普段ならば大抵のことはそつなくこなせる筈の廉が何故だか置いてきぼりをくらったかの様な表情でこちらを見ていて。
「いいからあ、あんなの放っておいてたまにはあたしにも構ってよ。パジャマ・パーティしようよ、前はよくやったじゃん」
 強引に引っ張られて、何故だかその手を払う事も出来なくて。
 香流は、深夜に差し掛かる時間帯で普段ならば当の昔に眠っているに関わらず酷くさえた目と頭の中で。
「いや、でもそれは……って、香流はそんな事してたのか?」
「ああ……そうよね、比良は知らないわよね。口裏合わせて内緒にしてたし、香流は先生と仲悪いってよく愚痴ってたし」
 精神的に、女の子は男の子よりも先に成長するものだと相場が決まっている。
 本来、肉体を逆にして育った二人の場合は比良の方が反抗期に入っていてもおかしくなかった筈なのだが、思い切り肉体に左様されたのか香流が思い切り反抗期に入っていた。
「そうよお、その頃は離れで勉強してた事もあって。よく香流が泊まりに来てたの。
 比良は頼りにならないし、親はあんなだし……って、どんなか知らないけど」
 しかも相手は双子の弟でもなく、両親でもなく、隣家の一家でもなく……祖父。
「まあね、いつもってわけじゃなかったから。他の時に香流がどこで何してたかは知らないけど……ああ、でも安心して。毎日連絡して無事は確かめてたから。多分、友達の所に泊まってたとかってオチだろうし」
 元々、教育熱心な所が過ぎると言う風潮もあったせいか自由を満喫したがっていた香流の精神を逆撫でしまくり。結果、香流は一週間の半分くらいを家に帰ることが無くなり、その分のイライラを含めた鍛錬と言う名のいじめを比良が甘んじて受けると言う時期があった。
「なるほど……」
「なるほどって、何?」
 掴んでいる手はそのままだったが、羽香は何かを妙に納得した香流の方が気になったのだろう。その言葉は先ほど廉に向けられたものよりも数段、優しい感じになっていた。
「いや……入れ替わって暫くたってから、立て続けに香流の知人より連絡が入ったりしてな。私にはどうにも出来ないしアレに相談するのもどうかと思ったので、全て関係を断ち切った所……暫く、少しあってな」
 言いにくそうに言うあたり、どうせろくでもないのだろうと羽香は推測する。
 そう言う所、妙に不器用と言うか。曖昧にさせる事をしないと言うか、関係をはっきりと白黒付けたがる性分とでも言うのか……確かに、物事をはっきりとさせる性格と言うのは見ていて清々しいものがあるとは思うけれど。時に波乱を呼ぶ原因となる事もあるが、逆もまたしかりだ。
「廉にも、あの頃は大変迷惑をかけてしまった……」
「別に、あのストーカー野郎に迷惑をかけるのは良いんじゃないの? 良い女の条件なんだし」
「そうなのか?」
 最初こそは状況に対応出来ずに多少の抵抗をしようとした香流だったが、暫く歩いていると握った手の感触以外は抵抗がなくなっていた。
 羽香には、それがとても嬉しい。
「いっかあ……」
「何が良いのだ?」
 きょとんとした顔をする香流を見て、羽香は思わず微笑んでしまう。
 男の精神で育ったまま、女の体に戻ったと言う幼馴染……最初は、確かに親友がそんな事を言っている事を嘘だと決め付けていた。けれど、香流と廉と比良と羽香の4人で会った時、それが事実だと理解してしまった。
「そうねえ……とりあえず、あの厚顔無恥の笑顔野郎から香流を奪えた事と。
 あの馬鹿が唖然呆然って顔で、こっちを見たのとか?」
「羽香の言っている事は、廉と同じくらい意味が判らない……」
 柔軟性、と言うものに関しては全くないと言っても過言でもないのだろう。
 育ち方がそうだったからだと言えばそうなのだが、違うと言えば違うのかも知れない。
 判っているのは、今の香流に「普通の女の子」の精神を植えつけるにはかなり時間が必要で、それは男である廉や比良にはとうてい出来ないと言う事だ。
「あら、あんな馬鹿どもと一緒にしないでくれますう?」
「成績は大差ないと思うのだが……」
「しゃらっぷ! お黙り! さいれんす!」
 発音が滅茶苦茶な言葉ではあるが……別に、どうやら怒っていっているわけではないのだろうと判断して香流はほっとした。
 女の子が感情的になった時に、何をどうしたら良いのかと言うのが判らないからだ。だが、香流はそんな事に正確で適切な答えなどあるわけがない事を知らない。
「あ、香流! コンビニ寄ろう、何かお菓子買って行こうよ」
「コンビニか……しかし……」
「いいじゃない、今夜はぱっと騒ぐんだから!」
「本気だったのか?」
 本気かどうかと言うのもあるが、どこで? と言う疑問の方が先に来る。
「あったりまえじゃない、こうなったらとことん騒いで。とことん食べて、飲んで、遊ぶんだから!」
 とりあえず、そこで思ったことを口にしてしまったのは良かったのか悪かったのか。
「……太るのではないか?」
 ぴしり、とか羽香が固まってしまったのは女の子としては当然の結果である。
「香流……ひどい、自分が太らないからって……そんなスタイル良いからって……。
 前は、私とそんな変わらなかったのに。なんか急にスタイルよくなってボン、キュ、ボンだし!」
「え、ええと……羽香?」
 じりじりと後退したい衝動に駆られたのは確かなのだが、しっかりと手が繋がった状態なのでそれも出来ない。まるで小学生が見たら「やーい、レズ!」とかはやし立てられるのではないかと思ってしまうほど、傍目から見れば仲良しこよしな図だ。
「香流ばっかりずるいぃぃぃぃぃぃぃっ!」
 じたばたと暴れつつも、コンビニに入るのは迷惑ではないのだろうか?
 などと思ってしまうあたり、香流は良い子な思考回路がばりばりと働いてしまっている。
「あ、新製品だ」
 とか思った次の瞬間、ころっと羽香の意識はあっさりさくっとお菓子の棚に向けられてしまっている……香流は、もしもこれが「普通の女の子」の基準ならば死んでもこのレベルに追いつくのは無理ではないかと言う気がする。
 実際、以前の香流も羽香と大差ない感じだったわけで。そう言う双子の姉を見るのは何やら「どうでも良い、関係ないし」と言う気分にさせられたものだ……そのお鉢が己に回ってくると思うとやるせない脱力感に襲われて堪らないのだが。
「ねえねえ、香流! フレーバー7色味だって、どれにしようか?」
 確かに、見ていて可愛いとは思う。
 と言うよりも、大体の女の子は香流から見て可愛いと言う部類だ。これまでが己の身長より遥か下の方でちょこまかしていると言う印象でしかなかった以上、あまり正面切って顔を見たりとかしなかったのだが。こうして同じくらいの身長になると世の中の女の子達はとても可愛いのだと、思ってしまう。
 恋愛と言う要素さえないが、比良の言う様に「華奢で守ってあげたい」と言うイメージは刷り込まれるようにして植えつけられてしまっており。そう言う意味では、間違った女の子道に突き進んでいる事に香流は気が付いていなかった。
「メロン味なんかいいよね、なんか合成着色料っぽくて」
 きゃははと笑っている横で、真面目に「合成着色料は体に悪い」などといって良いのだろうかと言う気にさせるのだから女の子はすごいと感心してしまう。これが廉あたりに言われる事もないが万が一言ったら「巻き込まないのならば勝手にしろ」の一言で済んでいるかも知れない。
「香流は? 何がいい?」
 廉を除けば、最初のこの事態になって一番にバラしたのは羽香が始めての相手だ。
 状況を理解して算段して、廉が「女子に一人味方をつけておこう」といったのがきっかけだった。確かに、数々の「女の子の世界」に香流一人で放り込まれたらどんな事になっていたのか未だに想像が付かない。
「……そうだな、私はイチゴ味がいい。
 なあ、羽香。一つ聞いてもいいか?」
「うん? 何?」
 あ、これもいい。こっちも食べたい。
 こんな風にはしゃぐ姿を見ているのは、何故だから心地よい気がする。
 以前は女の子と一緒と言うより姉と一緒言う気持ちの方が強かった事もあって、こうしてコンビニとかに付き合わされる事があっても対して気になったりしなかった。どちらかと言えば、逆の気持ちにばかりなっていた気がする。
「どうして、信じてくれたんだ?」
 買ったものの会計をする時以外、羽香は手を放したがらなかった。本当は、お金を出す間も放したくなかったのかも知れないとは思うけれど。流石に、そう言うわけにはいかないのだ。
「えっとお……言う? 今更?」
 確かに、一年はたっていないが半年は経っている話だ。
 話が始まって直ぐの頃ならばいざ知らず、今更言うのは何やらタイミングを外している気がしてならない。
「済まない、困らせてしまったか?」
「ええと……まあ、らしいって言えばらしいかなあ?
 そう言う所ってさ、香流も比良も似てるよね? なんていうの? 気の使い方が頓珍漢って言うか『このタイミングで言うかあっ?』って感じで」
 ふとした思い付きなのか、それはずっと思っていたことなのか。
 それは、口にした本人が一番判らなかった。
「……羽香の言っている『香流』は、どっちなんだ?」
「え?」
 羽香の足が止まって、じっと香流を見つめていた。
 両手に持っているコンビニの袋は、時間が経つごとに己の存在を主張するかの如く重量を増してくる気がする。中身はペットボトルに入ったドリンクやお菓子、ジャンクフードと呼ばれる類のもので中華まんやらコロッケなども入っているのは何故だろうかと香流は首をかしげたものだ。
「もしかして……何かあったのって、あの馬鹿じゃなくてもう一人の馬鹿の方……だった?
 あたし、香流。連れ出したの……ヤバかった?」
 別に、買うのは悪いとは言わない。ただ、香流の知っている限り羽香の家とコンビニとは結構距離があった筈だと思ったからだ。
「そんな事はない、私は廉から引き剥がしてもらえて……助かったと思っている」
 せっかく熱々のものを買っても、冷めてしまっては美味しく感じなくて勿体無い。
「正直に」
「良かった……」
「羽香? どこへ?」
 羽香が香流を引っ張って入ろうとしたのは、よくあるマンションの一つだった。
 場所から逆算してみると、学校と久樹家との中間くらいの場所にあたる。駅一つと半くらいの場所で歩いていくのは少し頑張れば出来ない事もないと言う所、香流は知らなかったが、結構この辺りは学生街っぽく一人暮らしをしている生徒が割と多めに住んでいる。
「あれ、言ってなかったっけ? 私、中学受験からここに住んでるの。
 ママが成績下がったらいつでもオシオキ代わりに稽古つけてもらえる様にって、まあうちの持ちマンションだからってのもあるんだけど。だから半分近く管理人? やってるの」
 慣れた様子で中に入ると、管理室には誰も居ない。
 何でも、朝から夕方くらいまでは別の管理人さんが居て夜間は監視システムとかが動いているそうだ。それでも、電球が切れたりとか何かがあった時は羽香が取り替えたりしているらしい。
「すごいな……」
「まあ、ねえ? 中学の頃から一人でって言うのはなかなかないんじゃない?
 それに……私が居ない方がパパもママもまだ冷静に話せるみたいだし」
「え?」
「うちね、私の中学受験とかの話が出る頃から二人とも仲悪くてさ……離婚するとかしないとかって話、出てたんだ。でもって、私を出汁にして喧嘩するの。もういい加減嫌になっちゃったから、よく香流には遊びに来てもらってた」
 初めて聞く事では、あった。羽香の両親の不仲については聞いていない事もなかったが、一人娘の羽香がこうして実家に居られないほどの関係になっていたとは。しかも、香流が外泊をしていた理由の一つがここにあったことも。
「知らなくて当然だよ、私が香流に頼んで黙ってた貰ってたし。パパもママも先生とかには言えないでしょう、見栄っ張りだし」
「私は……本当に、物事を知らないのだな……」
「いいんじゃない? だって、知らないって事はこれから知ることが出来るって事じゃない? 知らなかったって事が判ったんだから、これから知る楽しみが出来たって事だよ」
「羽香は……強いな」
 心の底から、香流は幼馴染を尊敬の眼差しで見つめた。
 知ってか知らずか、羽香は耳まで赤くしながら「そ、そうよ。強いんだから!」とかふんぞり返ってみるものの。顔を赤くしたままでは説得力に欠けると言うものである。
「でもね、本当は私一人の力で立ち直ったわけじゃないんだ……」
「そうなのか?」
「うん、そうなの……って、あんたまた勝手に人んちに上がりこんでるう!」