その4・友愛と妬みの輪舞曲


 酷い目にあったものだと、比良が零した。
「珍しく誘いをかけに来たと思ったら、何をいきなり言っているんだ?」
 行きは自転車だった筈の比良は、どうやら途中で自転車がパンクか何かした関係で一度家に戻り。それから電車で学校まで来たと言うのが正しいらしく、朝に羽香へ連行された後で散々「情報に疎い」だの何だのといわれたのが会話の内容の主な部分だったらしい。
「べつに、愚痴りたかっただけ……ちょっと『己の限界に挑戦』したら、思ったよりあっさり出来ちゃったのもどうかなあ、とか……」
 どうやら、今朝の「一度家に戻って電車を使って学校に行く」という事らしい。あわよくば、思い切り遅刻して行こうと思ったのに身体能力の高さから間に合ってしまったのがいまいち不満だと言う事の様だ。
「贅沢だなあ、自力で得たわけじゃないのに」
「廉、そう言う言い方って……どうよ?」
 身長は、どちらも香流に比べれば高い。
 高校生だが、最後に計ったときはどちらも香流より二〇センチは高かった。
 現在も伸び続けているらしいので、今後はもっと身長差が生じるだろうと言うのが全員の一致した意見だ。
「事実だ、受け入れるんだな」
 香流を先頭に、廉と比良が後ろを歩いている。そうしてみると、幼い子供を連れて散歩している大人と見られるのではないかと比良は思ったりするのだが。一番気にしそうな香流が何も言わないので比良には何も言えない……普段も、どうやら廉は半歩遅れた速度で香流の後ろを歩いている。
「うわあ、お姉様……もしかして機嫌悪い?」
 その関係、以前は全く無かった。けれど、今はそれが生じている。
「気色の悪い言い方をするな、私でもそんな言い方はしない」
「……廉、もしかして香流の機嫌悪い?」
「もしかしなくても不機嫌なんじゃないか? それに、そう言うのは俺よりも比良の方が判るんじゃないのか?」
 歩く速度は、変わらない。
 先を行く香流は長い黒髪を風になびかせている、一見すると金持ちのお嬢様の様な綺麗さをかもし出しているが。実際には、卓越した武道家の持つ強さだったりする。
「判るかよお、幾ら双子でも二卵性だし」
「けど、以前は随分と口数の少ない所を畳み掛けていただろう?」
「あれは……また少し違うからさぁ……。
 んで香流、結局のところ。手紙ってどうするつもりなわけ? 内容は? 廉は中身とか知ってるわけ? 羽香は中身知らなかったみたいだけど」
 ぴたり、と香流の歩みが止まった。
「香流……?」
「あ、今朝の……」
 廉の言葉を呼応する様に、動き出す影があった。
 身長は、比較したら比良や廉より小さい。かと言って、香流よりは大きい。
 体格も普通の中背で、髪は黒に見えるが光の加減か茶色っぽい感じもあるし。特にこれといって派手な感じでも地味すぎると言う感じでもないし、悪く言えば特徴も無いが良く言えば普通と言う範囲でしかない。
 もっとも、人は見かけによらないのだが。
「おい、廉……お前が居て、なんであんなのに香流が声かけられるわけ?
 うわあ、俺すっごく今落ち込んで傷ついて鬱入るけどいいか?」
「そう言う台詞は、もっと相手に聞こえないように言わないか? 普通」
 と言うよりも、それ以前にしなくてはならない問題がありそうな気がするのが通常なのだが。それについては誰も何も言わないで居たので。
「内藤君……だったな」
「やあ、覚えてくれたんだ。名前」
 嬉しそうに近づいてくるものの、ある程度まで来ると歩みを止めた。
「名乗ってもらえたし、それに手紙にも名前があった」
 少なからず、背後に居る長身の男性二人が睨みを効かせているからだと言う話もあるのだが。その割には内藤と呼ばれた少年の顔は妙なほどにこやかで、何やら今朝とは少し違った余裕さえ感じる。
「こんなところで待ち伏せって、なんかストーカー入ってないか?」
「ストーカーなら、正面から待ち伏せたりなんてしないんじゃないか? 普通、ああいうのって後ろからじっと見てるものだろうし」
「見てるだけなら、大した犯罪じゃないんだけどなあ……」
「いや、結構気持ち悪いから」
「経験者は語るって感じか?」
「まあ、そんな感じ?」
「二人とも、少し黙っていてくれるか」
 どういうつもりなのか、二人とも背後で声を抑えるつもりなど毛頭ないと言った風な感じで好き勝手な事を言っている。
「はあい」
「悪い、で……こんなところでどうしたわけ? 今朝会った内藤君だよね?」
「ちょっと、彼女を貰ってっていいかな?」
 顔つきも口調も、全く変わることの無い様子。
 初めて、比良の様子が少し変わったのを感じた。
「貰うって言い方、あんまり女の子相手に使わない方がいいんじゃない?
 せめて『借りる』くらいにしておかないと……女の子の中には、そう言う台詞に敏感な子も居るんだし?」
「そうだな……内藤君、申し出に関して少し頼みがあるのだが宜しいか?」
 何を考えたのか、時間にしては僅かだったが熟考したらしい様に見えた。
 無論、判る人にしか判らない事ではあるのだが。
「もしかして、二人きりになりたくないとか?」
「いや……かかる問題を一度に済ませてしまいたいと思う」
 どういう事なのか理解出来ないと言う顔をする内藤少年と、何か思い至ったらしい廉との反応は対極だ。その中で、唯一比良だけが蚊帳の外で居るのに楽しんでいる様にも見えるのが謎と言えば謎なのだが。
「と言うと?」
「実は、この手紙を受け取る以前から待ち合わせをしている。その相手と、内藤君にも同席をお願いしたい」
「ええと……それって、俺を彼氏として? それとも、二人まとめて『ごめんなさい』をする為?」
 言われて、僅かに香流の背後の廉が笑みを浮かべた。
「いや、どちらもはずれだ。
 私が今日会うべき待ち合わせの相手は女性だから、内藤君に彼氏になって貰う理由もなければ。交際を申し込まれたわけでもない女性と共に『ごめなさい』をする必要もない」
 それから、香流は少し後ろを向く。
「比良、廉も。
 そう言うわけなので、今日は二人して先に帰っていてくれ。私は用件を済ませてからにさせて頂くが、夕食までには帰るつもりだと父上には伝えてもらいたい」
「えぇっ! 俺達は仲間はずれなわけ?
 おい、廉。聴いたか? 麗しの香流お姉様が俺達をのけ者扱いだってよ!」
 言い方はとことん大げさなのだが、それが本気で言っているわけでは無いことが判ったのか。香流はもとより廉の表情も全く変わらず、僅かに状況に戸惑ったらしい内藤少年だけが少し困った顔を浮かべている。
「ま、そう言うな。香流には香流の付き合いってものがあるんだし、そうそう俺達がお邪魔虫なんぞしてるわけにもいかないだろう?」
 ノリは軽いのだが、廉はひどく真面目そうな感じで嘆き続ける幼馴染を宥める。
 はっきり言って、長身で見目の悪くない男二人が大根芝居をするのは鬱陶しい……。
「そうだ、『麗しのお姉様』は交友関係の問題を解消しなくてはならない。
 うざったい男二人は寂しく帰路にあり、せいぜい可愛い女の子の話題でもするが良い」
「香流……やりたいことはわかるけど、せめて表情くらい動かそうよ……」
「そうなのか?」
 こくんと同時に頷く弟と幼馴染を見て、わずかに香流が首をかしげた。
「難しいものだな……」
「何がかはよく判らないんだけど……で、俺はその女の子と引き合わされてどうするの?」
「それは……会ってから、と言う事では拒否されるだろうか?」
「いや、それはないけど……」
 ちらりと、内藤少年が香流の方を。と言うよりも、その先と言うより背後的少し上を見た様に見えた。
「この二人の番犬には、先に帰る様に命じたので問題はない。
 二人とも、まさかこそこそと野良犬の様に事の顛末を嗅ぎまわる様な真似など……」
「俺達はしないけどさ、俺達は……ね?」
 比良の物言いに、内藤少年が首をかしげた。
 どうも、言い方が何やら含みがある様にしか見えないからだ。
「比良、あまり人をからかうものではないぞ。特に、身内以外への暴言は時に恨みを買う事になる」
「いやあ、どうも今までの癖が抜けなくってぇ」
「そう言うところ、お前達はどっちも不器用だからな……大丈夫、俺達は香流を信用してるって。流石に、昨日今日の話ならともかくあれから結構時間も立ってるんだし。
 そろそろ、実戦経験もつんで置いた方がいいかなって話は親父ともしてたんだ」
「……そうか、悪かったな。廉」
「親父に相談したかったのって、それだったんだろ?」
「お見通しか、廉でなかったら気分が悪くなるところだな」
 羽香当たりが見ていたら、いきなり大声で叫びだしたくなる程のショッキングな台詞なのだが。その暴言を吐いた当の本人が全く自覚がない為か、内藤少年がぎょっとした顔をしたのを見ても全く持って反応がなかった。
「えぇっ! 俺だけまた仲間はずれかよお、俺にもなんなのか教えてくれよお!」
 日ごろの行いのせいだと言えばそうなのだが、比良は並の恋人以上に通じ合っている様に見える双子の姉と幼馴染の仲の良さを見せ付けられてご機嫌斜めと言う演技をする。
 演技だとわかる最大の理由は、目が楽しんで廉にじゃれ付いて見せたりしているからだ。
「後で教えてやるって、香流がOK出したらだけど……ま、そう言うわけなんで内藤君。
 香流のこと、よろしく頼むよ。男なんだし、いいところ見せてやってね?」
「二人とも、寄り道などせぬ様にな」
 すれ違った時、僅かに廉が内藤少年を見た様に見えた。
 だが、見られた方は何か思うところがあるのか廉の方を見ようともしなかった。
「ずいぶんと……変わったみたいだね、久樹さんの弟。だっけ?」
「ああ、久樹比良と言う。中学の頃までは同じ程度の身長だったが、高校に入ったとたんににょきにょきと伸びてしまって鬱陶しい事この上ない……双子だと言うのに、随分と違うものだと認識させられる」
 幾らか憮然とした空気を漏らしているのは、それが本人にとって無意識だからだろう。
 歩き出した香流の横を、置いていかれないようにと言う事なのか歩み進める。
「ふうん……ねえ、香流って呼んでもいいかな?
 苗字だと、弟さんと一緒の時に二人まとめて呼んじゃいそうだし。僕の事も、苗字じゃあなくて名前で呼んでもらって構わないし」
 ちらりと、香流が視線を向けたのを笑顔で受け止める。
「内藤……キシ君だったかな?」
 頭の中で何かを噛み締めるかの様な言い方は、何かを考えている様に見えるし。逆に、何も考えていないかの様にも見える。
「よく読めたね、旗志って案外読み方に戸惑われるんだけど」
「我が家も、よく初対面な方はヒサキと読む……ここだ」
 香流が先に立って入ったのは、一見の喫茶店だ。
 極普通の、けれど今は駅前などでは安売りコーヒーの店などに押されてしまって閉店を余儀なくされてしまう事の多くなったタイプの店であり。普通の高校生が、学校の部活帰りにファーストフードでだべる様な店とは訳が違う。
 どちらかと言えば、制服姿の高校生よりも本物志向の大人が好むタイプの店だ。
「いらっしゃいませ」
 しかし、香流の態度は物腰からして堂々としている。
 あまりにも堂の入った物腰なので、なんとなく逆に可哀想に見えてしまうくらいだ。
 顔の作りは、決して美人だと言い切る事が出来るわけではないけれど。けれど凛とした物腰や態度は美しさすら感じさせる、けれどあくまでも香流は女子高生に過ぎないのだ。
「久樹さん、こっちです」
 道路から反対側、壁際には先に来ていたらしい一人の女子高生が居た。
 ケーキセットを頼んだらしく、それでも来たばかりなのか紅茶用の砂時計が落ちきっている様子はない。
「私はアッサムティーとミルクレープを、旗志君は何か注文されるか?」
 彼女は、少し長い髪を二つに結わいている。深緑のブレザーのよく似合う女子高生で、どちらかといえば今時の女子高生に近い感じがして。
「ええと……俺、コーヒー……」
「アメリカン、ブレンドなどございますが。いかがなさいますか?」
 喫茶店のお姉さんは、どちらかと言えばギャリソンタイプな衣装を身に着けている。
 白いぱりっとしたシャツに黒のズボン。そこには腰巻きのエプロンを身に着けており、物腰は意外にも洗練されている。少なくとも、こんな地方都市の寂れた喫茶店でウェイトレスをする様には見えない。
「ぶ、ブレンド……」
「ご一緒に、軽食などはいかがですか?」
「では、彼の為にサンドイッチでも追加してあげてください」
「かしこまりました」
 一礼をして下がったウェイトレスを見て、内心で旗志はため息をつく。
 普通の男子高校生は、こんな風に丁寧な礼儀的扱いをされる事などそうそうない。
「久樹さん、さすがお薦めのお店ですよね。
 私、すっごくこのお店気に入りました……本当は学校の子にも自慢したいけど、秘密にしちゃいますね」
「そうしてもらえると、助かる。私も、一人になれる静かな場所が侵食されるのは好ましくないからな……貴女ならば気に入って貰えると思っていた」
 大きな目をした、派手すぎない少女だ。
 しかし、やはり香流の友達だと言われると違和感を感じる。どちらかと言えば、香流が比良や廉を従えていると言う方がとても納得できそうな、そんな風貌をした二人なのだ。
「久樹さん、そちらの方は?」
 椅子に座って落ち着いてから、彼女は旗志の事を尋ねた。
 砂時計の砂は、落ちきっていた。
「彼は、内藤旗志君と言う……今朝、私に手紙をくれた人だ」
 事実だけを淡々と言う香流の前に、先ほどのウェイトレスがケーキを置く。
 クレープの重なった層の間に、クリームが美しいハーモニーを描いているのが見える。
「ああ、うちの学校でも噂になってますよ。向坂さんって彼氏が居るのにラブレターを書いたチャレンジャーだって、でも……よく五体満足で生きてますよね?」
「何、それ……って言うかさ、君こそ誰?」
「彼女は、荒城真由美。中学生時代から比良に思いを寄せている」
 これまた淡々と状況を説明する香流の前に、茶葉の入ったポットと、温められたらしいティーカップが置かれる。
「ほんっと、香流さんって前とすっかり変わりましたよね!」
 何がそんなに楽しいのか、きゃらきゃら笑いながら真由美が語る。
「ふうん……僕は、今の香流さんしか知らないんだけど。以前は違ったの?」
 確かに、今の比良であるのならば。こう言う今時っぽいが派手ではない少女が隣にいるのは微笑ましく見えるだろ、案外こう言う娘の方が強かなのだし同じ学校ではない事もあって女同士のいじめもエスカレートしないかも知れない。
「気になります? やっぱり……」
 香流の砂時計が落ち切り、ティーポットからお茶をカップへと注ぐ。
 その手つきは、なんだか滑らかで優雅さをかもし出している。
「構わない、それに……真由美さんの知っている『私』と言うのも聞いてみたい」
「だったら遠慮なく……そうそう、香流さんって今でこそおしとやかな大和撫子ってイメージがすっごい似合うけど。中学の……三年に入る頃まではすっごく普通だったんですよね、なんって言うかイマドキっぽくて」
 僅かな所作は、一つ一つを丁寧にしているから見えるのかも知れない。
 真由美の言葉に何の反応も示さず、やはり淡々とケーキをフォークで切って口へ運び。その甘さを消し去りたいが如く、カップを口に運んで静かにアッサムティーを含む姿は茶道でもしているかの様だ。
「今時と言うのも……少々気になるところかな、そう言うのには疎くて」
「え、そんな事ないですよ。町ではよく声かけられてたって有名でしたもん」
 真由美は、香流とは同じ年齢で同じ学年の筈だと旗志は思う。真由美の胸元にあるクラスバッジは旗志や香流と形こそ学校が違うのだから当然として、それでも同じ一年生を表すマークがあるのだ。
「それは……話が大きくなっただけだろう」
 けれど、香流はいまいち怪しい日本語敬語で話しかけられても何も不審に思わないし。真由美も怪しい日本語敬語で話かけるのを、無理していると言う感じではない様に見える。
「実は、その当たりのことも全て含めて……二人に、知らせておきたいことがあり。同席を願ったのが、この主旨だ」
 半分ほど消えたケーキと、飲み干されたカップの中のお茶。
 すでに食べつくしたケーキのお皿と、ミルクを入れかけたティーカップ。
 手付かずの、コーヒー。
「一つ、私は真由美に話しておかなくてはならない事がある。この件に関してうそつきだと罵られる事を、私は覚悟している」
「……香流、さん?」
 まだ残っているケーキに手をつけず、お皿に置かれたフォーク。
 何かを、まるで暗示させているかの様に見えると思うのは何故だろうか?
「そしてもう一つ、結果的に今の私では旗志君の手紙にあった内容に答えることは出来ない事を先に申し伝えなくてはならない事を言っておく」
「……香流?」
 冷静沈着と言うべきか、それとも無表情と言うべきかギリギリのラインだと言うのが久樹香流と言う人を語る時の最初に下される評判だ。が。
「私は、比良だ」