その18・紡ぎと導きの光


「簡単にまとめちゃうと、本当に簡単な話だよなあ……」
「んで、一番の問題の人物はどうしたの?」
 久樹家道場は、午後の稽古時間の真っ只中だった。
 生徒達には「構内に侵入者があり、生徒は臨時早退とする」と言う宣言がされただけで何の説明もなく。生徒達はあまりまくる知的好奇心を刺激だけされながらも、何一つ情報が無い事に不満を持っていた。
「自宅に戻らせた、私の襲撃問題どころではない話だからな」
 生徒達は実感が沸かない為か思い思いの早い放課後を過ごしている事だろう。羽香と真はあれから戻ってこないし、教師達は今頃職員会議で大騒ぎだろう。警察も大手を振って正面から乗り込んできて、巻き込まれた側としては良い迷惑だ。
 扉の向こう側では、小学生達の稽古が行われている。
「しっかし……比良もどこでこんな情報仕入れてくるんだ?」
「あたしはいいのよ! それより、真もすごいわよねえ。あたしなんて裏情報しかわからないけど、こっちのコピーなんて公的文書よ?」
 道場主が今、一番楽しみにしていると言われている稽古時間だ。それには、孫息子と孫娘の突然の変化が大きく影響しているのは当然だが、だからと言ってどうにかなる問題でもない。
「ああ……真もあれでいて忍者の末裔だからな。現役忍者としては当然と言う所だろう」
「「……は?」」
 香流は、控え室に置いてあるポットから湯冷ましにお湯を入れる。
 日本茶を入れる時、一度急須に入れる前に温度調節をするのは必要だ。
「おや、二人とも知らなかったか?」
「忍者って……」
「お姉様、今時この現代日本で見世物にしたって……」
 どちらかと言えば、香流は二人が知らなかったという事実に対しての方に驚きの目を向けた様だ。
「マイナー流派ではあるが、彼は緋隠流の一九代当主になると思う。恐らく、現代のスパイ業界では数少ない現役シークレットサービスを排出する一族だろう」
 現代科学の進んだ昨今、いかに古式ゆかしい探索者であるとは言っても。今では一般の人物が見るならば忍者ショーとか時代劇村とか、そう言う場所でなければ見ることはできない。たとえ、そう言う家系だと言う家であっても、今では普通にサラリーマンの親子をしているとか言う家庭だって少なくはないし、最悪の話。自分がそう言う家系の子孫だと言う事を知らない人達だって、少なくはない。
「ひがくれりゅうって……」
 とは言っても、いかに現代科学が進んだとは言っても人の個性やレベルが活動に大きく作用するのは当然の事だ。
「つまり、忍び込んで公文書偽造? 転写だからまた違うかな?」
「表に出さなければ問題はない」
「それもまた、どうよ?」
 俺達って犯罪の片棒担いでいるわけ? とか言う比良の今更な言葉は、香流にも廉にも思い切り無視された。
「と言うか……よく知ってたな、香流?」
「私は廉の様な『事情通のフリ』ではないからな」
 笑いながら「うわあ、やられたなあ」とか廉は言っているが、どこまで本気なのか疑問が浮かんでくる。
「けどさ……内藤じゃないけど、人に優しくするのって。なんかこう言う事があると……きっついよなあ……廉は上手くやってるからいいけど」
 そうでもないさ、と言いながら廉は香流の入れたお茶を飲む。
「旗志君と彼女のケースは、ないとは言わないが特殊である事は確かだ」
 彼女は、警察署に連れて行かれる前に言った。
「優しくする事って、どういう事かなって思う事はあるよ? 確かに、でもね」
「廉は、上手く相手を切り捨てるからな」
「切り捨てるって……人聞きの悪い」
 旗志が中等部に入った頃、教職員になって2年目の彼女は教師である事を辞めたいと思っていた。最初の一年は失敗もあったがそれなりに充実していたものの、色々と問題が持ち上がったのは確かで。
「ああ、そう言えば告白しても上手く断られるってんで有名だよな」
「比良まで……ちゃんと、誠心誠意もってるだけだって」
 そんな時、廊下で転んだ彼女は持っていた荷物をばら撒いてしまい。それを旗志が拾ってくれた。たまたま持っていた飴玉を添えて。
「居もしない『好きな人』とやらを持ち出すのは辞めるんだな、私達へ被害をこうむる事になる」
「え、まだ香流に手を出す奴いるわけ?」
「お前は自重しろ、相手は女性だ。私で手に負えなくなったら呼んでやる」
「それって『待て』って奴じゃあ……犬じゃなくて双子の弟なんですけど? お姉様? しかも、アナタ自分で手に負えなくなっても絶対あたしの事呼ばないでしょ、覚えないから言っちゃいますけど?」
 次に会ったとき、旗志は彼女のことを覚えていなかった。
 たまたま、旗志が剣道の部活の最中で打ち身をした生徒の付き添いに現れた時の事だ。
 怪我をしたのは女の子で、手が空いているのが旗志で。彼女は、たまたま保健室の先生と仲が良かったので時々お茶をしていた真っ最中で……けれど。
「お前より犬の方が余程、優秀だ」
「きっぱり言わないでよお、しかも強調したでしょ! 犬よりは優秀だと思うのにぃ……裏文章だって裏だって取って来てあげたのにぃ……」
「オカマ扱いされる弟を持った記憶はない」
 二度と会わなければ、気がつかなかったかも知れない。
 思い。
「なによお、うちなんてお隣にホモ扱いされてる幼馴染がいるじゃないのよお」
「比良、それって誰の事を言ってるか聞いてもいいか?」
 たまたま、旗志が連れているのが女の子で無ければ良かったのだろうか?
 それか、本当に二度と至近距離で会わなければ良かったのだろうか?
「うわ、廉ちゃん怒りモード?」
「はっはっは……香流、久しぶりに比良で遊んでいいか?」
 判らない、何一つ。
 ただ、判っているのは。
「全力で」
「絶対イヤ! 勘弁して!」
「許す、好きにしろ」
 それから、彼女は決してなかなくなった。
 構内における評価は高くなり、積極的に上昇志向をぐんぐんと伸ばし。PTAからの信頼も厚く、生徒達からは「少し怖いけれど美人な先生」といわれる様になって。
 表では評判の教師となり、裏では。
「あんた今、真剣にOK出したでしょ! 廉、あんたも笑顔で近づくんじゃないわよ!」
 好きになった少年を守る為、あらゆる手段を講じた。
 時には教師の権限を駆使して、時には変装して。相手の女の子や、ライバルになりそうな男子生徒にまで手を出して行く行為が過剰になってゆく事を止められなかった。
「比良……狭い空間で逃げられると思うか?」
「イヤ、助けて。お願い、香流ちゃん!」
「双子の姉として、死に水くらいは取ってやるから安心しろ」
 否、すでに始めた時から彼女は止まらなくなって行った。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ! 安心出来ないぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ」
 年齢差とか、教師と生徒であるとか、それ以前に相手の気持ちとか。
「二度ネタどころか、三度ネタってどうなんだろう?」
 そういったもの全てから目隠しをして、行動に出られるというのはすごいけれど。
「うるさい」
「げふ……香流、お盆の角って痛いって知ってる?」
「すこんって当たったなあ……お気の毒様」
 一方通行の愛情は、単なる自己満足でしかなく。
 それも、本当に相手の事を思ってのことではなく自分自身の満足である事からすらも目隠しをして。
「廉ちゃん、真面目に『お気の毒』とか思ってないでしょ……」
「あ、判った?」
「そう言えば、確かにお盆の角も痛そうで『お気の毒様』ではあるが……」
 今、彼女は嫉妬からも憎悪からも解放された所へ向かう。
「お祖父様の稽古は『痛い』では済まないと思うが……二人ともどうだ?」
「「遠慮します」」
「私も」
 社会的な復帰は、もう二度と出来ないかも知れないけれど。
 この状況が、彼女の望んだものであっても望んだものでなかったとしても。
「いつか、誰かを『好き』になったり出来るのだろうか?」
 全ては終わりを、迎えたから。
「……ま、香流お姉様。俺も立場は一緒だから」
「お前に言われるのは腹が立つ」
「まあまあ」
「あ、さっき『好きな人』とか言ってたけど、俺に昔から好きな人が居るのは本当だから。
 皆さんにお断りを入れてる事は事実って事で、よろしくね? 気も長いし」



 事件は、決して大きく報道されたわけではなかった。
 全国レベルでは、と言う所だが。それでも、地元では大きな騒ぎとなって「そんな事をする人には見えなかったんだけどねえ」などと言う、良くある台詞も一部ローカルテレビや新聞でにぎわったりして。
「返事が欲しい、香流」
 流石に翌日は香流達の学校や、旗志の前の学校でも一日だけ臨時休校となった。
「やっぱり、好きだなって思ったから」
 波紋は大きく、旗志は当分の間は色々な意味で噂の的になるだろう。
 唯一の幸運は、前に居た私立の付属校よりも今の学校の方が奇人変人が多くて噂が消える速度が異常に早いと言う所だ。今朝も、すでに別の噂がはびこり始めて旗志の「魔性の男! 年上殺しは年齢問わず」なる臨時発行の構内新聞も半分以上は「ニュースが古い」などと冷酷な評価を下されて新聞部が涙したりとか言う事実もある。
「屋上って言うのは、ちょっとベタだったかな?」
「構わないだろう、屋上は自由解放ではないが」
 そっと、旗志が香流を呼び出したのは昼休みに入ってからだった。
 羽香と真は相変わらずぎゃあぎゃあ騒いでおり……正確には羽香が真に食って掛かり、廉はいつもの笑顔で香流の側に居た。比良は同じクラスではないし、今頃は同じクラスの子や違うクラスの子と楽しくバスケでもしている事だろう。
「あいつら、後ろに来てたりする?」
「いや、居ないだろう。まあ……気配を殺して近づいてきている可能性はあるが」
 どいつもこいつも、一筋縄ではいかない面々である。
 思わず、旗志が苦笑してしまう程度には。
「香流って愛されてるな」
「そうだな、とても良い奴らだ……恐らく」
 最後の「恐らく」は、やはりどう転んでも香流の本音だろう。
 他人の、こんな秘密を持っている久樹姉弟の為に好奇心と言うおまけを引っさげて。それでも心配と言う部分もあって、手を貸すことを良しとする奴らはなかなか居ない。
「そうだ、旗志君には言っておこうと思っていたんだ」
「悪いけど、その前に……返事、欲しいんだけど」
「私の答えは以前と同じだ、まだ一年にも満たない状態では。気分的にはホモでゲイだ。
 いかに、今の私が女の肉体を持っていて。やろうと思えば子供を作れる状態であろうと」
「……随分と、はっきり言うよね」
 せめて、オブラートに包んで欲しいと思うのは。何も旗志だけではない。
 デリカシーがかけてるとか、そう言う問題でもないのだろう。
「『女のくせに』か?」
 僅かに笑ったのだろうか? そう思わせるほど、香流は静かだ。
「以前は、私もそう思っていた。別に、お祖父様の影響とも思わないが『こうあるべき』と言うものがないとは言わない。むしろ、他の人よりは遥かにあるだろう。
 だが、今はそうでもない。この状態もそうだし、中学3年の春まで『久樹香流』が何をしていたのかを多少耳に入れたり、そう言う事を色々と学んでいる最中だ。
 こんな中途半端な状態で、色恋沙汰などの余裕などはない」
「だから、香流は愛されるんだろうなあ……」
「旗志君……そうそう『愛』を連発しないでもらえないだろうか?」
 きょとん、と言う言葉がぴったり当てはまる顔で旗志は疑問を乗せる。
「なんで?」
「気恥ずかしくて堪らない」
 そうは見えません。
 言いたくなった言葉を、ぐっと我慢した己を旗志は褒めてあげたかった。
「大体、何故私だ?
 旗志君は比良と戦いたくて、私に近づいた事を知っている。けれど、もはやその願いは申し訳ないが永劫に叶わない」
 例え、再び香流と比良の中身が入れ替わったとしても。
 それまで培ってきた事や言動が、また調整しなくてはならない。それは、これまでずっと男として誰と入れ替わる事もなく生きてきた旗志よりは遥かに不利な状況である事に変わりはない。
「うん、それは知ってる」
「申し訳ないと、思ってる」
「香流のせいだって事?」
「判らない……私達は、原因も理由も、何一つ判らない。それを模索して究明して、仮にわかってもどうなるか、どうするかも。そうする気があるのか、ないのかすらも」
 香流は、首を横に振る。
 心の底から、この一年弱が大変なものだったのだと知る。
「比良は、どういってるの?」
「あれは……あれは、今の状態を心から謳歌している。仮に、方法が判ったとしてもこの姿になりたいなどとは言わないだろう」
「ちょっと待って、それって比良の望みだったってわけ? じゃあ、香流は? 望んでないのにこの状況ってわけっ?」
 すっと、激昂しかけた旗志を手を上げることで抑えた。
「いいんだ」
「香流……」
「なってしまった事に、文句を言っても始まりはしない。
 私とて不本意なのは変わらない、それでも始まってしまい。放り出す事も出来ない事ならば最後まで続けなくてはならない。
 私はね、旗志君。正直な話、君は私の中に居る『比良』と言う存在を求めているのではないかと言う気がする。君の置かれた状況や環境が変わって、ようやく向き合う事が出来るようになった今、その気持ちをもう一度確認した方が良いと」
 酷いことを言っているのは、香流にも判った。
 他人の心の中を推し量る、そんなのは出来ないし単なる思い込みに過ぎない。
 それでも、舞い上がりかけた旗志の気持ちを抑えるにはそう言う事は必要だと思った。
「香流は、俺をそんな風に思ってるわけ?」
「ああ……言い方が悪かったな、申し訳ない」
 旗志は、翼だ。
 これから羽ばたき、本当に自由の空を駆け巡るだけの才能に恵まれているのを香流は知っている。けれど、押さえつけられていた翼が急に大空に羽ばたこうとすれば、これまでの反動でどうなるか判らない。かと言って、慎重すぎても空を飛ぶのは難しい。
「ホモでもゲイでもない、と言う意味だよ。私がね」
「……うん、まあそうだろうね?」
「私はね、少なくとも人生の半分以上を男として過ごしてきた。しかも女装ではなく、しっかり肉体まで男性だった。それは、信じてくれても信じてもらわなくても変わらない」
 つまり、香流の精神は未だに男性のものでると言いたかった。
「アレは……高校生である間は女の子に興味を抱かないだろうと思う。これまで、ずっと女で過ごしてきたから」
 湾曲に解釈するのならば、それだけ今の比良に恋愛に対する余裕はまだないと言う事。
「転入までしてきたのは、本当は何故だ?」
「……半分半分、って言うのが本当は正しいかな?」
 行動が妙に早すぎた事を、香流は気にしていた。
 理由がどうあれ、本当に旗志の行動は早すぎたのだ。
「香流が言ったみたいに、本当に。最初は比良へのあてつけとか牽制とか、そう言う意味があったのは確か。信じられない事とか言われちゃうしね。
 あと、俺の周りで急に怪我人が増えたのも本当。俺と結構レベル合う様な奴とかが、急に事故にあったりするのも増えたんだ。男女問わずで。うちの家族だって何度か危ない目に合いかけた。
 だから、転校って言うのは前からあった話なんだ」
「そうか」
「あの……『そうか』で済んじゃうわけ?」
「後ろ指刺される理由だと思ってるのか?」
「いや、思ってないけど……あと、やっぱり香流のそう言う所。改めて惚れたのも事実。
 荒城さんとさ、今は情報交換してる」
 ため息をつきたい衝動にかられたのは、言わなくても良いことだ。
 つまり、真由美はリアルタイムの情報を。旗志は過去の情報を。それぞれ交換しあっている……ノリは芸能人の追っかけの様な気がしてならないが、その辺りは大した問題ではないだろう。と言うか、深く考える方が恐ろしい気がする。
「では……困った事になったな」
「え?」
「実は……先日、廉からも告白された」
 香流が、にやりと笑った。