その17・尊敬と侮蔑の走馬灯


 その人物を見た時、最初の反応まで数秒を要した。
 しかも、最初に反応をしたのは求められていた筈の旗志ではなく別人。
 どうしたものかと思わせるには、十分な話だった。
「……誰?」
「少なくとも、学生じゃあないって面構えなのは理解しちゃうね」
 真と廉が言う様に、なんとも不自然な感じだ。
 制服は確かにこの学校のものだが、体つきが違う。肌の質感が高校生と言うにはもう全然違っていて、どちらかと言えばブルセラとかイメクラとかに勤めている人だと言われた方が遥かに想像しやすい。
 奇しくも、養護教諭の言った「コスプレ」と言う言葉は的確に的を得ていた事になる。
「旗志君、君の事を散々『旗志様』と呼んでいたくらいだから。ある程度のつながりはあるのではないかと思うが……心当たりは?」
「いや、まったく」
 薄情者と言われるのを覚悟の上で、旗志はあっさり吐露した。
 気を失っているとか、髪が顔に張り付いているとかはある。ちなみに、髪はかつらだったので取ってみたらショートカットだった。
「流石に身分証明書の類はなし……あ、駅のコインロッカーみっけ……」
「真」
 香流が一言だけ名前を告げると、実にさり気なく真は気絶をしている乱入者の荷物をあさっていた養護教諭からコインロッカーの鍵を奪い取り。
「じゃ、行って来る」
「頼む」
 それだけで、やはり誰にも追求を許さない緩やかな流れでその場から姿を消した。
「ってえ、何でっ!」
「真がコインロッカーまで出向いて中身を探ってきてくれるそうです」
 はっと我に返ったときには、すでに手の中から鍵は失われている
 スリにでもなれば当代髄一か稀代の天才スリ師として名をはせるのではないかと思われるほどの腕前だ。
「あ、そうなんだ。じゃあいいや」
 物事を深く考えない性質なのか、それとも別に理由があるのか養護教諭はあっさりと承諾した。
 逆に、周囲の人達がそんなにあっさりしていて良いのかと悩むくらいのあっさり加減だ。
「それにしても……久樹姉さんは、よく緋女君の事を顎で使えるね?」
 何か弱みでも握っているのかと問いかけてきた言葉に、香流は「まさか」と一言を返しただけで。
「残念、生徒を顎で使えるほどの弱みって握ってみたいのに」
 などと、案外笑えない台詞を吐かれるのが困った。
「内藤、本当にこの人見覚えとかないわけ?」
「って言われても……向坂は見覚えないわけ?」
 旗志は、自分でも言っていてかなり無茶のある台詞だと思っていた。
 ずっと旗志の周囲で近づく女の子達を排除していたらしい人物、旗志をずっと、それこそストーカーよろしく見ていたと言うのはこの人物なのだろう。おかげで、少なからず旗志の学校生活に影響を与えたのは確かだ。
 正義感、と言うほど確立したわけではないが感情を逆撫でさせるには十分な行動をしてきた彼女……その彼女が一体どこの何者であろうと、とりあえず旗志は彼女を許すつもりは一切なかった。それだけは確かだった。
「あっても困ると言うよりイヤなんだけど、この手の人物を知っていて更正させなかったなんて先生にバレたら稽古つけられるから。だから、どっちにしても知らない」
 この場合の廉の言っている「先生」と言えば、最悪でも目の前でごそごそと気絶している乱入者の服を探って身元照明にないそうなものをあさっている養護教諭ではなく。
 向坂家とはほとんど土地の境界線が存在しない久樹家道場主で双子の祖父の事を指す為、その恐怖の度合いはかなり違う。
「で、この状況は何?」
「……羽香」
 乱入者の事を考えていた為、羽香が居るのに気がつくのが遅れたのは大した問題ではないと言えるだろう。
「比良はどうしたんだ、一緒じゃないのか?」
「うっさいわねえ、廉。あんなのと一緒にしないでよ、コンビ名なんかつけたら投げ飛ばすわよ?
 ところで、姫様見なかった? こっちにフけてるとばかり思ってたんだけど」
 羽香の機嫌は、どうやらあまりよくないらしい。
「羽香は一人なのか?」
「あの馬鹿は『ちょっと気になることがある』とかで、前の休み時間に消えてから知らないわ。クラス違うのに代返頼むなってのよ……聞いてやらないからいいけど」
「ふむ……」
 さり気なく羽香は香流の側まで近づくと、気を抜かずに持っていたバッグからキャンディやらチョコレートやらを取り出す。
「ほら、少しは暴れて疲れたんじゃないの?」
 どうやら、よほど顔色が悪く見えたのだろう。
 お菓子ではあるが、パッケージにはサプリメント効果があると明記されている。実際に効能があるかどうかは別問題で、これは気分の問題と言う見方が大きい。
「ありがたくいただこう」
 気持ちは嬉しかったので、香流は鉄分入りキャンディを口に含む。
 鉄分特有の味がする気がして、どうやら思ったよりも疲弊していたのだろうと勝手に自己完結をしてみる。
「で……そこで目を回して倒れてるどう見ても怪しい人物って、誰?」
 根本的な問題にツッコミを入れる羽香に、答えられる人物は何故か居ない。
 どうしたものかと考えてみるのだが、羽香もどうやら絶対答えを出さないと許さないとか、そう言う感じではなかったらしい。
「そいつは、内藤の前にいた学校の高等部の女教師だ」
 今度は腕だけではなく足もぐるぐる巻きにされてしまって、簀巻き状態もかくやという有様では問題もないだろうという事で。思わずのんびりとお茶などしけこんでしまったのは、やはり気が抜けたとか言う感じなのだろうが……まあ、学校長クラスに知らせたら大騒ぎになってしまって、保健室は一時騒然となったりしてみた。
「……あんた、いなくなったと思ったらどっから入ってくるのよ」
「いつの間に……透明人間か忍者って感じねえ」
「先生、それ洒落にならないから……で、それってさっきの不審人物よね?」
 生徒達への混乱を防ぐ為にも可能な限り状況を外部に漏らさぬ為にとばかりに、学校も警察に知らせはしたものの、警察の人達が変装して盛り込む有様……まるで、誘拐犯の連絡街をする為に被害者宅に現れる変装の人たちの様である。が、どうも知っているからなのか彼らの日常がそうさせるのか、どう見ても普通の格好をしているのに違う雰囲気がにじみ出てしまって、先ほどの乱入者ばりに不審人物に仕上がってしまっているように見えるのは何故なのだろう?
「ああ、ロッカーから荷物を取ってきた」
「ついでに、裏も取ってきたよ」
「あ、比良。あんたも一緒だったの?」
「そこで一緒になってねえ、真ちゃんと。これも愛のなせる技?」
 比良ほどではないが、真も身長は高い方だ。しかも真は線が細いので二人ならぶとメンズグラビアばりに見目が良くて密かに女生徒からの支持が高く、その事を知っている真は姫様若様と同じ程度に嫌がっているのを知った上での羽香の嫌味だ。
「教師? あれがっ?」
 一人、まともな反応を示してしまったのは旗志で。
 他の面々は大した反応を示したりしていない……度胸があると言うか、物事を気にしないと言うか、なかなか微妙な反応だ。
「しかも、内藤の前の学校の高等部って言うか……内藤、もってもて」
「茶化すな、廉。
 それで……その辺りも調べてきたのだろう、二人とも?」
 サプリメント入りお菓子のおかげか、座っていたのが良かったのか、寝込む事なく香流が多少の復活を果たしたようだった。
「はい、写真も入手してきた」
 比良が遣したのは、旗志の前の学校にあったらしい履歴書のカラーコピーだった。
「こんなの、どうやって……」
「ああ、まあその辺りはちょっとね? 裏の話だから」
「裏って……」
「羽香、真、問題はない。
 そいつが人様に後ろ指を指されるような事をするのであれば、この私が責任を持って世間様にお詫びをきっちりといれさせていただく」
 冷静な顔で言っているが、これが心の底からの大マジである事を。
 比良はよく、知っていた……相手がどこの何者であろうと、一度やると言ったことは必ず実行してきたのが生き様だからだ。しかも、今は女ではなくて男の体だから手加減なんて言葉とは無用の事だろう。
「うわあ、お姉様洒落にならないぃぃぃぃぃぃ」
「大丈夫だって、比良」
「廉……」
 ぽん、とかなり怯える比良の肩に手を置いたのは。
「その時は僕も香流を手伝うから、迷わず成仏しろ」
 敷地に垣根すらない、あまりにも近いお隣さん兼幼馴染は……やはり、昔と変わらぬ性格を如実に表していた。
「うわあ、俺。やっぱりお前の事すんごく嫌い……」
「二人とも、じゃれるのはそこまでにしてくんない?」
 廉と比良がどこまでじゃれるつもりでボケとツッコミ漫才コーナーなどを繰り広げたのかはともかく「うわあ、内藤が素晴らしく真面目だあ」と言わせる程度には……そう言う状況だった。
「先生って……俺、この先生知らないんだけど……」
「ま、どこで誰にどんな形でどんな風に恨まれるかってのは判らないもんだからな……逆もあるんだろう。
 なんでこんな奴に、とかって相手に惚れこんだり。気がつけば惚れられたり……ストーカーってそう言うものだろう」
「ちょっと真、なんか聞き捨てならない事言ってない……?」
 真が放った言葉は、単純に旗志を慰める言葉に過ぎなかったのだが……何やら、羽香にとってはあまり機嫌の良くなる言葉ではなかったらしい。えらく表情がぴくぴくと反応を示したりしている。
「気にするな、特定の誰かの事を言ってるわけじゃあ……」
「ちょっと、その『特定の誰か』って……!」
「羽香」
 再度乱闘騒ぎにまで発展しそうになったのを、一言で止められるのは香流だけだった。
「真、済まないが香流を連れて警察の様子を見に行ってくれるか?」
「……じゃあ、チャラって事で」
 羽香を止めてくれた事と、きちんと話し合う事がメインであって。
 本当に警察の様子を見に行くのは、この場合は二の次と言う意味がある事を真は正しく理解していた。
 こう言う所が香流と真が噂になってもおかしくない所なのだが、世の中と言うのは意外に見ているもので二人の間に恋愛感情的なものが全くないのは周知の事実だ。
「大盤振る舞いだな」
「等価交換って事にしておいてくれ、行くぞ」
「ちょ、待ちなさいよ真ぉっ!」
 特にこれと言って用事もなかったのだから問題はないのだが、ふと廉が首をあげた。
「しまった、戻ってくるときにコンビニでお菓子でも買ってきてもらえば良かった」
「廉……何を緊張感のない事を……」
「だって、俺達このままだと保健室に軟禁状態だし」
 そうなのだ、保健室は一応出入り禁止にはなっていないが養護教諭は先ほど廊下で作業しているフリの警察関係者に呼ばれて出て行ったままだし。香流、旗志、廉に至っては中から出るのは止められている……まあ、比良はどちらにしても大丈夫だろうが香流と同じ顔をしているので身長の違いはあるが一瞬戸惑われる。
「昼休みだし?」
「そいつに買いに行かせればいい」
「そいつって……香流?」
 何やら比良は、イヤそうな目でこちらを見ているが。
 香流の冴えた眼差しには勝てなかったらしく「はあい……何か適当に買ってきまあす」などと言いつつ、すごすごと腰を上げた。
 これで、保健室に残ったのは最初に襲撃された香流、旗志、廉が残った。
「どうやら、彼女は思いのほか旗志君の側に居たらしいな」
 ぽつりと零された香流の言葉は、比良の置いていった履歴書と学校内部の評価などをする経歴書を見て言ったらしい。
「見るか?」
 旗志の顔色は、悪い。
 無理もない、自分をずっと付けねらっていた見えない相手の正体……それが生徒であろうと何者であろうとショックはあるだろう。しかし、よりによって生徒を教え、導く筈の教師なのだと言われれば。
「俺、やっぱり覚えない……担任とかにもなったことないし」
 彼女は、古典の教師だ。理系の旗志では接点がなく、ましてやストーキング行為をされる理由が判らない……それこそ、本当に真の言っていた様に「なんでこんな奴に」と言う所だ。
「直接、本人と話が出来ればまた違うのだろうが……」
「警察が来る前だったら、何とかなったんだろうけどね。それもねえ」
 何しろ、彼女が常軌を逸脱していた状態を見ていたのだ。
 思い、焦がれていた筈の年下の男子生徒を最初は見守る程度の事だったのかも知れない。けれど、それはどんどんエスカレートしていたから。
「なるほど……しかし、彼女は随分と計算高く策略をめぐらせているのが好きな様だな」
 書類は旗志に手渡したので頭の中だけで反芻していたのだろうが、香流はかなり感心している様子だった。
「なんでさ、香流?」
 旗志の顔色は、悪い。
「彼女の経歴を見ると判るのだが、旗志君が入学する前はこれと言った成果を上げていない。極大解釈をするのならば、彼女が学校の中での地位を向上させる為にかなりぎりぎりのラインでの行動を起こしている。
 偶然の一致と言うには、何故そこに風紀が介入するのか問題だ。風紀と生徒会のパイプラインは大きく、仮に「特定の目的」に対しての意思が混入するのであれば色々と便宜を図るのは楽だろう」
 特定の目的が、特定の人物になるのは用意な想像だ。
 旗志本人は大して気にしていなかったが、男女関係なく優しくするフェミニストな精神は顔の作りや頭の作り、スポーツでいかに活躍するかよりも余程評価を左右する。
 かつて芸能人の誰かが言っていた「道」と言う文字のつくスポーツ。否、格闘技を行っている人は礼節を重んじる傾向があると言う話しが大きく影響をしているのだろうが、それとは別の面からも旗志は「優しい」と言う評価があった。
「しかも、最も近づけてはならない相手が。最大権力を誇っていれば当然の話だ」
「見守る程度ならともかく、変装に恐喝までするかね? 普通?」
「恋愛とは……」
 廉の普通の疑問に、香流は言う。
「そう言うものなのかも、知れない」
 ため息を交えた香流の言葉は、何か重いものを吐き出している様な感じだった。
「旗志君」
 先ほどから、口を開かぬようになってしまった少年。
 彼は、まだ高校生だ。2年生だ。
 他の人たちの評価がどんなものであれ、彼は本当に親とか大人の庇護が必要な未成年に過ぎない。ましてや、過分な愛情……愛情と認めるには偏執した愛情である事は確かだが。
 そんなものを、一人で受け止め着ることなど。ある程度までの経験を受けた大人であっても、無理と言うもの。
「君は、いつか彼女と向き合う必要がある」
 厳しい事を言っている自覚が、香流にはあった。
 貴方のせいじゃない、気にする事はない。そう言うのは簡単で、そう言ってしまう事は決して不可能ではないだろう。
 けれど、その言葉は役者不足だ。
 旗志のずたずたにされた精神では、その程度の言葉は決して届かない。
「香流……」
「愛される事に対してトラウマを作ってしまった彼女は、決して許されはしない。
 だから、私は彼女を許せとも許すなとも言わない。私が本当の当事者と言うわけでもないと言う理由もそこにはある」
 いや、貴方もかなり当事者なんですけど?
 と言う台詞を、廉はぐっと飲み込んだ。
「俺は……」
 何かを言おうとして開いたわけではない口を、持て余すのを理解していたのだろう。
 香流は、旗志の言葉を遮って言葉を紡ぐ。
「彼女は決して許されない、彼女自身が許しても、旗志君が許しても、例え世界中の誰も彼女が許したとしても、彼女の過去だけは彼女を許しはしない。
 だから、旗志君は彼女に会わなくてはならない。今ではない、遥かな……いつかに」
「……哲学的だね」
「文系だからな、おかげで高校受験は苦労した」
「あ、確かに苦労したよなあ。途中で専攻変えたし」
 双子とは言っても理系と文系ではえらく違うので、微妙な時期に入れ替わってしまって危うく理系受験をしそうになって中学浪人をする所だった。と言うのは、今では懐かしい過去の記憶である。
「優しくされるのは、嬉しい事だと思う。だから、嬉しい事を次は誰かにしてあげるのは良い事だ」
「けどさ、それを独り占めしたいって思ったら……ああなるんだろうね?」