ふたたび・君と僕と私と貴方


 思い出す。
 中学三年生の夏休み直前、あの日の事を。
 入れ替わってしまった心と体、原因なんてどこにあったのか判らない。映画みたいに雷に打たれたとか、人工呼吸をしたとか、七夕の短冊に願いをかけた、そう言うイベントがあったわけではない。あったのかも知れない、双子とは言っても互いの頭の中までは判らない。
 だって、二卵性だから。

「香流、居る?」
「居るぞ」
「珍しい……『普通の女の子』みたいだね」
 今の香流は、自室の書机に肘を突いていた。
 机の上には宿題の為か教科書とノートが広げられているが、他はすっきりと片付いている。
 色々と傷やら落書きやらの跡が残っているけれど、それはどうしようもない事として諦めている。
「何か用事があるのか?」
「いや……まあ、あるんだけど」
 珍しいのは、廉も同じだ。
 以前は、比良の部屋にも香流の部屋にも問答無用で入り込んでいた。
 比良の頃は着替えの最中であろうと気にしていなかったし、香流になってからは少しは遠慮してもそれだけだった。
「あることはあるんだけど……さ」
 困った様に笑う幼馴染を、香流は真正面から見る。
 同時に、思い出す。
 香流が体に慣れて状況を認識してから、最初に行ったのが廉も手伝わせて行った香流の部屋の大掃除だった。と言っても、香流が過去に集めたキャラクター商品などをほとんど廃棄した程度で……随分と騒ぎになったものだ。
 母親は涙を流して喜び、父親はその瞬間の全てをビデオに撮っていた。
 しかし、両親が子供達の入れ替わりを知ることは無かった。
「あ、シュークリーム食べない? 作ってきたんだけど」
「いいだろう……緑茶で構わないか?」
「そう言う所、昔からこだわってるね。シュークリームって洋菓子なのに」
「紅茶が嫌いなわけではないぞ? コーヒーは好きだが、カフェオレは苦手だ」
「それは知ってる」
 意外だったのは、その事を廉を除いて最初に見抜いたのは祖父だった。
 しかし、祖父は起きてしまった事実に対して落胆を隠す事は無かったけれど。やはり、二人の祖父であることは変わらないと宣言したのはありがたかった。
「いいのかなあ……」
「何が?」
「いや、一応俺は香流に気がある男なんですけど。こうして二人っきりで、女の子の部屋に上がり込んだりして」
「今更だ、気になるのならば道場でも良いし居間でもいい」
「香流のそう言う所って、男前だよね……」
 生まれてからと言うより、生まれる前からお隣さんでご近所の身の上では香流の言っている事は当然なのだが。廉が言う事もやはり、当然と言えば当然の事だ。
 問題なのは、両者とも意思の疎通が取れてないと言う所で。
 否、取りたくないとか取れないとか言う話ではないのだが。
「そうか?」
「得意げにならなくてもいいと思うけど……」
「廉は相変わらず失礼だ」
 やっぱり、香流は男前だと言う廉に。最近の香流は「イヤそうな顔」では「得意げな顔」に変わって行ったのが疑問で、けれど理由は判らない。
「あれだな、私は今の状態になってからモッテモテで困るな」
 シュークリームをぱくつきながら「モッテモテ」とか言われても、何となく苦笑しか出てこない。
「いや、比良の頃からモテまくりでしたけど?」
 少し首をかしげながら、香流が己の脳内の記憶を検索してみる。
「……そんな記憶、まるで無い」
「そりゃそうでしょ、俺と香流が全力で阻止してたから」
 加えて、比良は香流と同じ顔をしていても愛想と言うものにまるで欠けていたというのがある。硬派でカッコ良いという点では旗志と同じだし、確かにフェミニスト精神ばりばりではあったのだが「なんか怖いよね」と言うのが周囲に浸透していたから余計に近づけないと言う感じだった。
「そうなのか?」
「まあ、色々とね」
 内心で「一体どんな事をしてたんだろう?」と言う疑問が巻き起こっている筈なのに、緑茶と一緒にその疑問は飲み込んだ様だった。
「もう一つ食べる?」
「もらう……あ」
「食べすぎとかは気にしなくていい、おじさんとおばさんの分は下の冷蔵庫に入ってるし。
 先生の分は先に渡しておいたから、香流が全部食べていいよ」
「用意周到だな」
「長い付き合いだから」
 廉の持ってきたシュークリームは、紙袋の中に幾つも入っているらしい。
 香流になってから判ったのだが、どうやら今の香流はやたらと甘いものを消費したがる傾向にあるらしい。元々、比良だった頃から割りと甘いものは好きだった様だが今ほどではなかった……香流に言い訳をさせると「女性の肉体は甘いものを食べる事によって男性には最初から備わっている栄養素を補充する必要があるから……」と、長い台詞で説明されてしまう。
 実際に、それは確かにあるのだが。
「たっだいまあ、廉ちゃぁぁぁぁぁぁぁん! シュークリームあるって本当っ?」
「うるさいのが帰ってきたな……」
「そうだね」
 二人居ても割りと静かで、外の音も聞こえてくる部屋だったが。
「うわぁぁぁぁぁぁ、シュークリームだぁぁぁぁぁっ!」
 飛び上がらんばかりに叫ぶのは、言わずと知れた比良だ。
 ことのほか、この双子はシュークリームが好物だったりする。
「いっただっきまあす……ん? これってダブルシュー?」
 カスタードクリームと生クリームが一つのシュー皮に入っているものを、どこぞの製品名でダブルシューといったりする。
「廉、なんでダブルシューなんだよ。邪道だよ」
「ふてくされるなら食うな」
 すいっと伸ばされた手からシュークリームの入った袋を避けると、その流れで香流がもう一つと手に取る。
 家族の分が別にされてるのであれば、遠慮することは何もない。
「あ、いや。だって! カスタードが基本だし、シュークリームは!」
「私は生クリームが良い。カスタードも美味いものならば構わない」
「ほら、香流の好みだから」
 比良が「廉のエコヒイキ野郎」とか半ば本気で睨みつけるが、そこはそれ長い付き合いが物を言う。
「そりゃあねえ? 惚れた女の子とその弟なら、惚れた女の子の方を贔屓するって」
「うわ、カミングアウトしてやがる。このホモ野郎……」
「私は女性体だ」
「文句あるなら食うな、そして自分で作れ」
「自分ばっかり器用だと思って、ずるいぞ!」
「今時のモテる男の条件は『料理の出来る男』だというが……」
 食べる事はともかく、どうにも香流だった頃から比良は料理が下手だ。
 大工仕事などの力仕事は昔からかなり上手だったのだが、どうしても料理となるとゆで卵ですらたまに失敗する。
「じゃあ、僕は合格? 一通り家事出来るし」
 これでも、6歳の頃から料理に始まり家事は一通り出来る様になっている。
 少なくとも、双子の弟妹が生まれた時には父親よりも廉の方が余程役に立ったと言うのは、今でも義母である紅葉の弁だ。
「このシュークリームは美味い」
「小手先ばっか器用な小利口男め……!」
 ああ、と廉はいきなり納得する。
 父親である義人以上に父親らしい事をして育ててきたから。晶は反抗期の対象を兄である廉に向けているのかも知れない、と。
「そこ! 何勝手に香流に手を出してる!」
「やだなあ、香流の顔にクリームがはみ出してるから取ろうとしてるだけだよ?」
「そうか……」
「あのさ、そこで無表情に……いや、若干シュークリーム食べてるから幸せそうで可愛いけど。ごしごし腕で顔ぬぐうの止めない?」
「おい!」
 一応、お茶を一緒に持ってきた台布巾で顔をぬぐっているのだが……かなり適当だ。
「廉、子供ではないのだから自分でやる」
「人の話きけよな、お前らぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……あ」
「お前……子供ではないのだから落ち着いて食べろ。きちんと拭け」
 思わず、手にしていたシュークリームを握りつぶしてしまうほど興奮したのだろう。流石に食べ物に対して八つ当たりをするのは、気分的にまずい。
「い、いや、いいから!」
 何も考えていない……この場合、手がクリームまみれになってしまったと言う事で拭いてやろうと言う気分しかないのはわかっているのだが。何やら子供っぽい事をしてしまったと言う事実を前に混乱とか焦りとかで言動が一致しないらしく、妙に照れくささも手伝って拒否反応を示してしまったわけで。
「あ……ご、ごめん!」
 振った手は、とりあえずクリームまみれだ。まだ半分も食べていなかったシュークリームは無残な姿で握りつぶされていて、反射的に手を振れば当然の事ながらクリームは飛ぶ。
「……お前、余程わが身が惜しくないらしいな。食べ物を無駄にするなとあれほど……何だ、何をしてる、二人とも?」
 何故かは判らないが、二人して香流から目を逸らしている。
 いつもの恐怖のそれではなくて、なんとなく廉と比良はお互いを横目で見ながら香流から視線を逸らそうと努力をしているのが判った。
「一体……?」
「香流、顔洗って来いよ」
「は?」
「ああ、いや……それよりお風呂。お風呂入ってきたほうがいい、絶対その方がいい、もうお風呂入ってるだろうし!」
 久樹家の最初のお風呂タイムは、銭湯と同じ午後4時である。
 もっとも、これは稽古がない日に限っているので稽古のある今日みたいな日は祖父の稽古が終わった直後だ。確か、先ほど廉が来た時にはすでに祖父が居間で風呂上りのお茶などを飲んでいたと記憶しているので問題はない筈だ。
「え、あ……何を……?」
 何故か、香流は自分の部屋から半ば強制的に追い出される羽目になってしまったらしい。
 当然の事ながら、扉の向こうで香流が抗議するのだが「後で何か見繕って持っていくから!」と言う叫びにも似た比良の言葉で渋々風呂に入りに行った。
「なあ、廉……あれで風呂やってなかったらどうするんだよ?」
「香流のことだから、自分で風呂やるだろう……育て方間違えたかも」
「いや、育てたの廉じゃなくてうちの親とじいちゃんだし!」
「って言うか、我慢するの大変……」
「どこが我慢してるんだよ! お前、昔約束しただろう!」

 それは、幼い頃の約束。
 大切な大切な、女の子。
 三人居る中で、たった一人の女の子。
 彼女を守る為に、双子の弟とお隣に住む幼馴染は手を組んだ。
 他の奴らから、死んでも守ろうと。
 ……大事にしすぎたせいか、一時期は男の子になってしまったけれど。

「え、だからしてるでしょ? まだキスもしてないし」
「告白したじゃん!」
「そろそろいいだろう? やっと元に戻ったんだし……このブラコンのシスコン」
「うるさい、このホモのゲイ野郎! お前なんか晶に嫌われろ!」
 ここで「とっくに嫌われてる」とか言おうと思ったのだが……。
「比良。お前、もしかして……」
 ぴくりと、比良の体が反応した。
「お前が原因か……比良!」
「へっへえん、今更だね」
 どうりでおかしいと思ったのだ、一次反抗期は終わった筈だし二次反抗期にはちょっと年齢が早いし……などと、廉は妙に母親ちっくな思考をした所。
「大体なあ!」
 いきなり、比良が廉の胸倉を掴みかかる。
 中途半端に立たされた状態なので、妙に足に力が入らない感じだ。一度手を放してもらうか、それとも足を踏ん張らなくては力も入らない。
「……あ?」
 いきなり、比良の様子が固まった。
 廉としては、そのまま殴られるのではないかと半ば思っていた……否。殴られる様なへまをするつもりは毛頭ない。いかに比良がかつては同等の力を持っていたとは言っても今の比良では実力の差はかなりあるのだから、そう簡単にやられるとは思っていない。
「晶ちゃあん、比良ちゃんが廉ちゃんとちゅうしそうだよお」
 いつの間に入り込んでいたとか、なんでここに来たとか、そう言う理由を全てすっ飛ばして。
「「ちょっと待て、章!」」
 とりあえず、廉は更に晶に嫌われて比良がついでに嫌われて。
 晶の心の拠り所が双子の妹と、風呂上りの香流になった事だけは確実らしい。