ベッドの上に乗っても、香流は別に眠る気は無さそうな感じだ。 ただし、今さっき己に襲い掛かってきた襲撃者が気絶しているとは言っても目の前で転がっている状態で眠れるとしたら、かなりの精神状態だと言わざるを得ないだろう。 肝が据わっているとか、豪気だとか……言い方は色々だが。 「彼女の獲物が長物でなくて良かった」 気をつけてはいたけれど、つい反射的に行動してしまったので手加減が出来なかったと香流は淡々と語る。両足のプロテクター代わりのセラミックの重量のせいもあったらしいのだが、廉は割と本気でぐるぐる巻きにしていたから窮屈だったと言う。 「剣道が、私は気に入っていた……だから、ついそちらに夢中になってしまって素手による体術をおろそかにしてしまったのは失態だったな。 旗志君にも、恥ずかしいところを見せてしまい申し訳ない……君の獲物だったのに」 「いや、それはいいけど……」 香流の、あまりの強さに感嘆としたため息しか出せなくて。 正直な話、旗志はもう怒りも何もかも吹っ飛んでしまっている状態だった。 「これでも一応、道場主の元跡取り孫息子なんで」 恥ずかしい事だけは出来ないのだと続ける香流に、状況が状況なので聞いてみる。 「もし、香流の言っていた『精神と肉体の入れ替え』って奴が本当だったらさ」 ちなみに、襲撃者は念のために近くにあった包帯でロープ代わりにぐるぐる巻きにしてあるので仮に目が覚めても問題はないだろう。 「香流の体は、戦闘に慣れてないって事じゃないのか?」 あえて「試合」ではなく「実戦」でもなく「戦闘」といったのは、久樹香流の名前での公式試合に出た記録が一つも無かったからだ。道場主の双子の孫の場合、試合には基本的に出ない方針だったせいで比良の段位認定くらいしか公的な記録が表立って出なかったというのが理由だ。 疑っているわけではない、などと陳腐な事は言わない。 では、疑っているのかと問われたらそうとも言い切れないのだろう。 「慣らすのに時間は必要だった、その間に今一度武術に対しても再習得する必要があったのは確かだ。何しろ、香流と比良では手足の長さからして違うからな、その合間にプロレス技もグレイシー柔術も研究してみたが……流石に、ローリングソバットは手加減が出来なくて問題だ」 ローリングソバットの出来る女子高生が、世の中にどれくらい居るのか統計を取りたい衝動に駆られたのは。旗志が理数系のクラスだからなのだろうか? しかし、普通のローリングソバットは回転蹴りなどの横回転だが。香流が行ったのは縦の回転なので、厳密にはローリングソバットと言う名称は不適切の様な気もした。 「殺さなければ、良いと思うけど……」 「いや、あまり当たり所が悪いと記憶生涯などの問題が出て来て過剰防衛になってしまうから。やはり、警察のお世話になるのは可能な限り避けるべきだ」 警察の人をお世話することは昔からよくあるが、その警察のお世話になるのは子供心に両親や祖父に申し訳ないと言う気がするのだそうである。 「今年……剣道の段、取るつもり」 そうしたら、手合わせをしてもらってもいい? 旗志の言葉は、すでに「単なる女の子」を相手にするものではなく「実力のある好敵手」を相手にしているものの目で見ているのが判った。 「私は、比良ではないからある程度の自由は効くだろう……だが、実力で言うのならば廉の方が私より遥かに強いぞ。それでも良いのか?」 「ああ……向坂はなんかだか『最後の砦』って感じだから……」 「どういう意味、それ?」 らぶらぶしてるところ、邪魔して悪いんだけどね。 などと言いながら、養護教諭を捕まえてきたらしい廉は平気な顔で居る。が、とうの養護教諭は呼吸もろくに出来ない様な状態で見ているこっちが気の毒な気がしてしまう。 「向坂って、足も速いの?」 「先生が運動不足なだけだって」 「……ぜ……!」 何か言い返したいことがある様ではあるのだが、あまりにも肺が意思をすっ飛ばして勝手に活動をしているらしくまともな言語など全く発することは出来ないらしい。 「廉……」 「言っておくけど、一応女の子速度だよ」 香流がいける程度の、と言う言葉が出なければ香流も額に手を宛てたりしなかっただろうと旗志は思った。 転入してからそうそう何日も経っていないが、すでに旗志はこの学校の中に「有名人」は大体把握していた。その人物達は、基本的にとてつもなく個性的で……香流も比良も廉も当然入っていたし、遠からず旗志も入る事になるだろうとは思っていた。 「殺す気か、向坂ぁぁぁぁぁぁあっ!」 「あ、先生復活したね」 何とか呼吸が整った養護教諭は「ポーション買ってきて、ポーション。ああ、やくそうだと微々たるものだからエリクサーが本当は希望! ハイポーションでも微妙に許す。限定品ね!」などと微妙に意味不明な言葉を発しながらも「それで、何のようなの!」とか案外元気そうな声をしている。 「学校に不法乱入者が現れたので、対処の上捕獲しました」 とりあえず、香流は淡々と必要な事だけを口にして指をさしてみる。 廉がいきなり現れて拉致同然に職員室から養護教諭を連れ出した事とか、香流が出せる平均速度が平均より若干上であるとか、ついでに保健室に入ってきてどうして倒れている生徒に気がつかないのかとか、ツッコミどころは幾つかある。 「……なに、このコスプレイヤー。 まだ夏と冬の舞踏会には余裕って言葉が履いて捨てるほどあると思ったんだけど、どこの狂い咲き?」 香流もそうだが、旗志にも廉にもいまいち意味不明な単語が現れたのだが。 とりあえず、三人とも無視した。 「コスプレイヤーって……コスプレ?」 コスチューム・プレイと言うのは一種の変身願望を叶える趣味だ、想像。空想、または現実にある人物の服装を真似ることによってなり切る事で精神を高揚させたり。そう言う方面でコミュニティを形成する人たちの事をコスプレイヤーと言う。 「と言うより、取り押さえた事に関しては問題無視?」 「だって警備の問題だし、それは」 言われて見れば確かにそうだ、幾ら教職員とは言ってもプロの警護ではないのだから即座に「戦え」などといわれてもそうそう出来るものではない。 「いい? 人って言うのはね、手を見ればその人の人生が判るって言われてるの。 世の中で「手相」ってものが無闇に発展しちゃった最大の理由はね、手には必ず人生と生き方と年齢が現れるから。って言われてるらしいわよ、多分」 この養護教諭、何故かやたらと偏った知識と趣味を持っているらしい。 本人曰く「イマドキの若者のリサーチ!」とか言い切っているらしいが、その実は本人がはまっているからだと言うのが生徒達の主な見解だ。 「と言うより、キミ達……なんで実行犯の顔を拝もうとしないわけ?」 それは単に興味がなかったのと、目の前で起きた事に対して驚きまくっていたからです。 などといえれば、話はもう少し面白い方へと転がったかも知れないが。そんな面白い事を歩く日刊噂スピーカーな保健室の養護教諭に知られた日には、久樹家の双子姉弟の秘密も何もあったものではないだろうと思うから……言えない。 「……まあ、いいけど。 少なくとも、この人は本当の学生じゃない。少なくとも高校生じゃない……れっきとした成人女性、肌は化粧品で結構荒れてるからなあ……キメが悪いからストレスのたまる、事務職だけど事務だけじゃないって感じ?」 「先生、なんでいきなり手相見てるんです?」 「いやね、キミ達が見たくないのかなあって思って……」 「手相占いに凝っているところ申し訳ないのだが、彼女の生死を確認していただけないだろうか?」 あまりにもあまりな台詞を言われてしまい、一瞬だけ旗志はぎょっとする。 「あらま、結構ハデにやったのね……て、別に生きてるみたいよ?」 こちらもあっけらかんと首を押さえて言うあたり、やはり性格は香流も匹敵するところがあるのかも知れない。脈拍にこれと言って変化はないらしいので、かなり香流は手加減をしようと努力をして、それが実ったというところなのだろう。 「生死だけでいいの? 他には?」 「警察に通報とか警備員呼ぼうとか、そう言う思考回路には繋がらないんですか? 先生、あんたソレでも教師ですか?」 「いや、養護教諭なんてそんなものだし……大騒ぎにしたいって言うのならするけど? 幾らでも? でも、それでいいと思ってるのならとっととするけど?」 言われて、旗志は反論が出来ない。 何よりも不思議なのは、それで無反応な香流と廉だ。 「けど、これって立派な犯罪……」 「先生」 「はい、なんですか? 久樹姉さん?」 何か考え込んでいたらしい香流が、ふと思いついた様に口を開く。 「最近、貴方は探偵物の本を購読しましたね」 「ぎくり……」 「あ、なるほど。先生探偵ごっこしたいから連絡を後回しにしたいと?」 「うわあ、向坂あ。追い討ちかけるのやめようよお……こんなチャンス、滅多にないんだしさあ。夢もロマンもなしかい、若いのに淡白だね」 つまり……どうやら、警察を呼ぶ前にこの人物の調査をしたいなあとか。好き勝手適当な事を言って後回しにしたいと、遠まわしに言っているらしい。 「どういう学校だよ……」 思わず本音がぽろっとこぼれてしまうほど、この養護教諭の言っている事は果てしなくとんでもない事だ。 「あれ、知らなかった? 結構有名なんだけど」 「個性的と言うものだ」 ソレで済ませるんですか、二人とも? そういいたいのをぐっと堪えるのは、なかなか忍耐が必要な作業だった。 「で……まあ、それはそれで良いんだけど。どういう事でこんな事になってるのかって質問したいんだけどなあ……えっと、これって転入生の久樹姉さんへのらぶらぶ攻撃と関係ありって見てもOK?」 「表現方法に難ありと思いますが……概ね違いはありません」 あっさり答えてもらったのに、養護教諭は絵にも描くのが嫌になるくらい「イヤそうな顔」になったのが疑問だった。 「つまんない詰まんない詰まんないつまんなぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃっ、せめてもう少しくらいドラマティックで面白い展開になると思ってたのにぃぃぃぃぃぃっ!」 どうやら、予想のうち最もパーセンテージの高い予想をあえて外して言ってみた所。やはり予想の最もパーセンテージの高い話題にどんぴしゃだったのが不満らしく、何やら床をがしがし叩きつけ始めた。 「先生……予想があたってむかつくのはわかったから、とりあえずそこの邪魔な荷物どうにかした方が良くない?」 「向坂ぁっ! あんた意地悪すぎ、世の中の婦女子の皆さんに向かって土下座しなさいって言いたくなるくらい性格破綻者だぁっ!」 きぃきぃ言いながらも叫び続ける養護教諭は……どうやら、廉の内面をよく知っているらしい。何故かは判らないが、顔がにこやかな分だけ評判の良い廉も香流や比良、羽香などに続いて養護教諭を相手の時にも僅かに素の部分が出ていると言うのもあるのだろう。 「先生」 すっと、香流が片手を上げて挙手の体制をとる。 「はい、久樹姉さん!」 何故か、教壇に立っているかの様な態度で指名する養護教諭。 「廉の底意地の悪さは、今更です」 「失敬だなあ、二人とも……」 「うわぁぁぁぁぁぁん、追い討ちかけてどうするのぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」 旗志は、どうしたものかと考える事で現実を逃避するべきか悩み始めた。 加えて「もしかして、俺って今ここに居る必要ないんじゃ?」などと妙に哲学チックな思考ルーチンに入り込みかけてしまったのだから困ったものだ。 「あのさあ、二人とも……」 もし、と言う言葉が物理的に作用するのならば。 それは、どんな事でも叶う願いだったのだろうか? 過去を変える事が出来たとすれば、それを一番求めるべき人物は誰だったのだろうか? 人は、誰もが過去を持っている。培ってきた時間を、それを抱いて踏みつけて飲み込んで形成する。 過去は変えられない、何故ならば過去だから。 例えどんな過去で、どんな時間で、どんな事があったとしても過去は変わる事はない。 ただ、その過去を体験して味わった者だけが飲み込んで吸収して、昇華して行く事しか出来ない最強にして最凶、最悪にして最弱なるモノ。 それが、過去であり経験。 「うわあっ!」 だからこそ、世界に「もしも」などと言うものは存在しない。言葉は存在したとしても、単なる言葉に過ぎない。言葉は世界に作用する事があっても、決して全てを入れ替えたりはしてくれない。 「うぉっ?」 最低だったのは、なまじある程度以上の腕っ節を持つ人種が三人もその場に居た事だろう。だからこそ、単なる乱入者を相手に高をくくって「どうにでもなる」と言う甘えがあったのは確かだ。 「香流っ!」 どんなに手を伸ばしても、どれだけ踏み出しても、どの選択をしたとしても。 過去は、変わらない。 変わらない。 「お見事」 けれど、未来ならば変えられるのかも知れない。 「流石だな」 それが、定まっていない未来ならば。 「そう思うのなら、後で羽香への言い訳は手伝ってくれる?」 けれど。 「ああ、判った」 未来の姿など、誰も描く事は出来ない。どんな未来が待ち受けているのか、誰も知らない。だから、その未来が本当に変わったのか変わっていないのか、それを知る事は誰にだって出来る事ではないし未来を見えると言う人種は見えても未来を表す言葉を発明できないからそれを他の誰かに知らせる事は、出来ない。 「真……居たのか」 「おや、向坂を驚かせたのはラッキーって所か?」 「真、ぐっじょぶ」 「久樹姉、それ覚えたてで使ってみたいだけだろ……羽香もろくな事教えないな……」 無表情で右手の親指を立てた状態でこちらへむけてくる様子と言うのは、なんと言うか無表情なだけにシュールさが際立つ。 「ねえ、今何があったわけ?」 養護教諭の言葉は、今度は無視されなかった。 つまり、いつの間にか意識を取り戻していた乱入者が取り押さえと調査をしていた旗志と養護教諭を上半身の力を全力でバネとして跳ね上がり、ひっくり返す。 勢いをつけて前方……香流の方へ両手が使えないからタックルでも仕掛けようとしたのか走り出したところへ、真が何かをぶつけたショックで倒れたと言うのが客観的な状況だ。 「ちなみに、ぶつけたのって何?」 「どんぐり。つぶてとかって今は持ってなくて」 指で弾くだけで飛ばす方法で、それは案外難しい技術だ。 とりあえず、一介の高校生がやるにしては少々マニアックな技術である事に違いはない。 「比良と羽香は?」 「知らせてない、どうせ足手まといだし……廉なら知らせるか?」 「なるほど、違いない」 ぱんぱんぱん、と手を打ったのは香流で。 その香流は、ベッドの上に乗ったままの状態で宣言する。 「では、そろそろ犯罪者の顔でも拝むとしよう」 香流がそう宣言したのには、放っておくと話が取り留めない方向に転がった上に脱線しまくり。再び謎の乱入者が起き上がって暴れまくるとも限らない……暴れて自滅するのならばまだしも、下手に逃がして余計な問題になるのも困るし。後は、関係ない人にまで迷惑がかかったり警察を呼びました、犯人逃がしましたは少しばかり困るのだ。 「ほんと、なんでその台詞がさっき出なかったのか不思議よねえ……」 「そうそう、先生。貧血を起こしているので栄養剤でもいただけるとありがたいのですが」 「うわあ……本当、久樹姉さんって『いかにも女の子』だよねえ……まあ、いいけどさあ。 そう言えば、さっきまでしてた包帯ぐるぐる巻きってどうしたの? とっちゃったの?」 別に、廉はそこでフォローを入れようとか思ったわけではない。 今度こそ乱入者から目を離さぬようにしつつも、自分で行った事なのだから後始末も自分自身でつけようと思っただけの話しだ。 「まあ、役目は一応終わったから良いけど……でも、駄目って言ったのに外したんだから。 やっぱり、帰りなんかもあの格好のままで帰るのってどう?」 「歩けないではないか……」 かなり機嫌が悪いと言う表情で、香流はそれだけを言い放つ。 ここで暴れないのは、単に貧血を起こしている状態だからであって他の理由は一切ない。加えて、常ならば貧血を自力で治そうと努力する香流が珍しく薬に頼る気になったのは。 この場が保健室だからと言うのと、乱入者が眩暈を起こして倒れているのと理由が似ているのが気に食わなかったからである。 「じゃあ、抱っこでもおんぶでもして帰ろうか?」 「「「おい」」」 廉の軽口に対して、香流と旗志と養護教諭の声が重なったのは奇妙な偶然だった。 そうなると、自然と残された一人は決められた台詞を口にしなくてはならない憂鬱間を感じてしまう……後のフォローが大変だと思いつつも。 「とりあえず、顔でも拝んでおくか……」 半ば嫌々ながらも真は、覚悟を決めたように再び気絶した乱入者の前髪をかきあげ。あげられた髪の下から、顔がのぞいた。 |