その14・正道と邪道の嚥下


 放っておけば、今にも暴れるか踊るか倒れるかの三択をしそうなくらい真っ赤な顔になっている姿は。確かに、他校の女の子がぎゃあぎゃあ騒ぐ理由の一つとして相応しいのだろうと、香流はぼんやりと思った。
「そこの青少年、うちの香流に欲情してないで正気に帰るように。即効で」
「よ……欲情って……!」
「欲情……」
 何やら縁遠い言葉で、欲情のよの字も縁のえの字も連想していなかった言葉は。香流の中でも旗志の中でも思い切り不意打ちでフェイントで反則技だったらしく、香流は「なんだそれは」と言葉と表情で語り。旗志は「ああ、もう駄目だあ……!」などと、何故か勝手に絶望モードに一人でひた走っている。
「香流、そこで遠い目をしない」
 まさか、欲情ってなんだっけ? なんて言わないよね?
 などといわれてしまって、流石にそこは反論しておくべきだろうと思う。
「言語の意味は知っているが、何を持ってそうなるのかが判らない」
 きっぱりと言い切ると、旗志が更に「うわぁ……」などと絶望の渕に追い詰められた小動物が絶望と言う崖から突き落とされたかの様な顔になる……様に、見えた。
「まあねえ、昔からそう言うの淡白だったから……硬派って言えばカッコ良いけど」
「失礼な、人を欲望の足りてない仙人かコンピュータみたいな言い方をして。
 こう見えても、私にだってそれなりに欲望くらいある!」
 身振り手振りを交えて言っては見るものの……あくまでもミトン状態の両手が包帯でぐるぐる巻き状態なのだから、なんと言うか可愛らしいとしか表現のしようがないと言う状態だ。
 しかも、実は両足も包帯でぐるぐる巻き状態になっていてぬいぐるみもかくやと言う有様。このまま、動物耳と動物尻尾のオプションをつければ、立派に一部の趣味の方からお持ち帰り希望が提出されるか黙って持ち帰られるかのどちらかになるだろう。
「ああ、そうだ。旗志君からも何とか言ってくれないか?」
「……へ? 何を?」
 我を忘れて鼻血でも出るんじゃないかと言うほど真っ赤な顔をしていた旗志は、いきなり冷静に声をかけられて思い切り我に返ってしまった。
 廉は内心「そのまま放置してあげた方が親切だろうに」とか思ったが、言わない。
「廉の奴、私がこうしておかないと勝手な事をするとか言って包帯で手足を使えない様にする。これでは本当に身動きが取りにくくてたまらない、どうにかしてもらいたい」
 自力でやろうとしたら阻止されたと言うか、先に止められた事もきっちり言うのだが……廉が見張っているので実力行使も出来ないと言う。ちなみに、ベッドの上でおとなしくしている最大の理由は「包帯汚れるけどいいの? 靴はけないでしょ?」と言う廉の脅しが効果を最大限に表しているのが原因だ。
「ええと……」
 ちらり。
 旗志が横目で廉を見ると、廉もちらりと旗志を見ていた。
 何故か、本人達はお互いを「好敵手」として認めているらしいのだが。その割りに手を組んでいるケースの方が多く見える気がする……と香流は思う。まあ、今は香流が他校生の女子生徒に狙われている事が主な原因なのだからどうしようもないとは思うのだが、それでも何か納得できない気がしてならない。
「流石に、帰る頃は何とかしてくれるんじゃ……」
「旗志君……君もか……」
 とりあえず、旗志が一人で廉を相手に抵抗する意思がない事を思い知ってしまい。
 意外にも、かなりの衝撃を受けている事を香流は知った。
 ついでにと言うわけでもないが、そんな旗志を知ってしまって衝撃を受けている自分自身にも更に追い討ちをかける様に衝撃を受けている事を知った。
「打ち合わせするのに、暴れる必要はないと思ってね……良い考えだろ? 内藤?」
「いや、でもなあ……なんていうか……そう言う趣味かよ……」
 何やら、男二人で勝手な世界を展開されてしまい香流は悩む。
 こいつら、もしかして私を出汁にして二人して好き勝手な事を好き勝手にやりたい放題したいだけではないのだろうか?
 と言う事は、私は玩具扱いかっ!
「そうだ……香流、写真とって置こうか?」
「何のためにだ?」
 可能な限り作れる渋面を作っても、この場合は廉しかそれを見分ける事は出来ない。
 少なくとも、旗志には香流が心の底から精神が暗黒的なマイナス面に支配されている事には全く気がつかなかった。
「今後の為に」
「意味が判らん」
「同じ事は繰り返さないのが先人の教えって言うだろう?」
「余計に意味が判らないんだが……」
「大丈夫、痛くしないって」
「写真を撮るんじゃないのかっ?」
 何の会話なのかどんどん判らない方向に走った頃、白々しくチャイムが鳴るのが聞こえて。結局、旗志まで呼んだのに全く持って「打ち合わせ」なるものが進むどころか何の打ち合わせなのかすら判らない状態になって頭を抱えたくなり、ミトンと室内履きさながらでぐるぐる巻きに鳴っていると頭すらかけないのだという現実に今更気づいて愕然となる……などと言うパターンに陥っている事にようやく香流は気がついた。
「いやぁぁぁぁぁぁ、かわいいぃぃぃぃっいぃぃぃぃぃぃぃっぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
「ウルサイな、この変態!」
「ちょっと羽香! 幼馴染兼親友に対してえらい言い草じゃないのよ!」
「はっはっは、やかましいわね! 今の親友はあんたじゃなくて香流なのよ、香流! だから親友はあんたじゃないのよ、比良!」
 チャイムが鳴り終わると同時になだれ込んできたのは、言うまでもなく比良と羽香だ。
 これまたわけのわからない興奮に陥った比良が、どうやって同時に現れる事が出来たのか不明の羽香にツッコミを入れられてじゃれあいではないかと言いたくなる状態になっている……一人、香流は話に全く持って置いてけぼりを食らって。
 落ち込みたくなったのは、どうしたものだろうか?
「すごい格好だな、久樹姉」
「真……私は今すぐ、非常に常識的な存在に非常に理解出来るように心の底から説明を求めたいと思うのは贅沢な悩みなのだろうか?」
 確かに、ぐるぐる巻きのせいでろくに歩けず、頭をがしかがしとかく事も出来ない状態と言うのは悩むべき事柄だろう。
「ああ……ええと、同情はする」
 思わず、真が同情してしまったとしても無理もない。
「同情するなら……」
「悪い、一人暮らしで金はない」
「古いネタはもういい、説明してくれ」
 往年の夜中にやっていた昼メロドラマ並の王道街道まっしぐらだった有名台詞を阻止してしまった真は、少しばかり後悔した。
 これでは、事情を一番知らない筈の自分が説明役にさせられてしまうではないか。
「それとも……貴様の実力はその程度なのか? 実家の御一族がソレ見たことかと指差して笑うのではないか?」
「うわ、もしかして知ってるとか言います?」
「事情通なのでな」
 香流と真の「同類相憐れみ組」とでも言いたくなる二人の会話を横目で見ていた廉が、少しばかり拗ねた様な笑みを浮かべる。
「香流、いつもは人の事を『事情通』とか言って嫌な顔するのに。自分も事情通なんだ?」
 なんかずるいね、なんて言う。
 真はかなり驚いた様子で「久樹姉でも嫌な顔するんだ?」とか口にしてから、同じ顔が今度は「しまった」といっているのがよく判った。
「失敬だぞ、真」
「香流はこれでも結構、表情豊かだよ」
 これでも、と言う言い方は気に食わなかったが。
 確かに比良の頃に比べれば表情はかなり豊かになったのは確かだ、だから嘘ではない。
 ただ、香流が香流だった頃。比良が比良だった頃に比べれば、かなり表情が動かなくなったと言われてしまうので、仮に誰かに「表情が動かなくなったね」といわれればそれもそれで嘘ではないのだ。
「第一、私は廉と違って事情通だ。廉は私と違って事情通の『フリ』をしているだけだ」
「ああそう、これこれ。これが香流の『嫌そうな顔』結構動いてるよね」
「って、そんなん判らんって」
「廉、真!」
 会話の後に続くはずの「貴様ら!」は、この場合の第三者……チャイムと言う存在によって遮られた。
「あ、次は移動だった。羽香、とっとと戻るぞ」
 武士羽香が中学も高校に入っても、割と成績はともかく授業をまともに受けられる最大の理由は……緋女真と言う教育係が側に居てくれるからだと言う事を、香流は知っていた。
「あいつらって、本当に面白いよねえ……見ててつい突っつきたくなっちゃう」
 けらけらと笑う比良は……はっきり言って、不気味だ。
「そうそう、次は俺が見張ってるから。内藤君は次の時間授業に戻ってていいよ」
「え、そうなの?」
 どうやら事情をいまいち知らされていないらしい旗志は、ここで初めて「もしかして比良の代理だった?」とか言いながらも教室に戻って行った。
「あまり旗志君で遊ぶな、二人とも」
 香流は廉と比良の性格を知っていたので、少しだけ旗志に同情した。
「だって……ねえ、廉?
 香流ってば、結構内藤君の事気に入ってるんだかなんだか知らないけどエコヒイキしすぎなんだもおん」
 身長がすでに平均より上の、怠けている割に基礎がしっかり出来ていたせいかガタイの良い体つきの男子生徒が「もおん」とか間延びされた言葉遣いをされるのは……気持ち悪いと言っても差し支えないだろう。
「贔屓などしてはいない」
「憮然とした顔しても無駄だよ、香流」
 面白いものを見ている様な顔で、廉が言う。
「香流は、内藤を贔屓してるよ」
「断言するな、私は贔屓などと言う恥ずべき行為は嫌いだ」
 好き嫌いと実際に実行しているかいないかと言うのは、この場合かなり違うのだが。
 あえて言うのならば、好きな色と似合う色が違うのと同じくらい。
「まあ……確かに恋愛要素はないみたいだけどね?」
「けど、侮るのもよくないんじゃないか? 一応あれでも相手は男なんだし」
「言っておくが……私にとって旗志君は尊敬に値するとは思っているが。贔屓をしようなどと思ったことは一度もない、それよりもお前達の方がよほど私を贔屓していると世間では大評判だ」
 香流の意外な台詞に、男子生徒二人は本当に意表を着かれたらしい。
「「うそぉ」」
 思わず、台詞までシンクロしてしまっている。
「最近、共に私に対する評価が過分なまでに低いと思うのは気のせいか?」
 忌々しいとでも言いたいのか、香流の表情は香流を知らない人でも多少「あ、機嫌悪いのかな?」と思うほどに顔が動いているのが見えた。
「「気のせい」」
 更にきっぱりとシンクロした答えを返されて、香流は能面の様に表情が固まった。
 このままの調子で言ったら、せっかく手足をぐるぐる巻きにして置いたのに。にも関わらず暴れてしまうかも知れない。
「なんで、尊敬とかって言う言葉になるわけ?」
 素朴な疑問が先に出れば、こんな風に香流が不機嫌丸出しな顔になる事もなかっただろに。それでも、後になってもひょっこり持ち出してくる話題はありがたいと言えばありがたいのだが、順番を考えてくれても良いのに……とか廉が思っているかどうかは不明だ。
「旗志君は私達の置かれた状況に対して、それでも偏見を持たずに協力までしてくれている。それはとても難しい事で、私はそれに対して礼を尽くしたいと思っているからだ」
「礼って……下心がある場合は、気にしなくても良いんじゃないの?」
 女が尽くされるのは当然でしょう、などと流石は双子だと思ってしまう偏見的思考回路を暴露してくれるのが。今の比良の特徴だ。
「下心か……だが、人は誰でも『魚心あれば水心』であるし『水清ければ魚住まず』とも言う……問題はそこにどんな含みがあるかではなく、その時々にいかに対処するかではないかと私は思う」
「そう言う問題とも、なんか違う気がするけど……」
 比良が「やっぱりどっかで育て方間違えたかなあ?」とか頭を抱えたりするが、香流の言っている事は正道であり邪道だ。正しいけれど違っていて、けれど正しく間違っているかと言われるとそうでもない。
「ああ、ほら。日本語って難しいから」
「それもまた違う気がする……って、廉はどっちの味方なわけ?」
「え、それは当然……」
「どっちにしても、私はお前達に育てられた記憶はない」
 すっかり機嫌を損ねてしまった香流は、それはもう……なんと言うか、本当にどうしようもなく機嫌を損ねていた。
 まるで、本当の普通の女の子の様に。
 外見的には女の子だし、肉体的物理学的生物学的にも女の子なので間違いはないのだが。精神的には微妙に違ったりするので、そこが唯一にして最大の問題なのは間違いない。
 なので、こう言う場合は本当に後々まで尾を引いて困るのだ。
「うわ、お姉様ご機嫌斜め……?」
「いい加減にしろ、比良。当分私はお前の顔が見たくない」
「とか言われてもさあ、同じ家だし。鏡見たら同じ顔見えるし」
 挑発と取られてもおかしくない言い草だが、これだけ違いはたくさんあるのに何故か顔だけがよく似ているのだから困る……これで比良の身長と体つきが同じくらいだったならば香流の身代わりくらい出来たのに、と言う意見もかなりあったのだ。
 実際、入れ替わる前まではお互いが服と髪型を取り替えると見分けがつかないくらいよく似ていたと言う事実がある。それでも比良は香流が言い出してもほとんど乗らなかったくらい嫌がっていたのだが……どうやら、その頃から女体には抵抗があったらしい。
「判った。とりあえず、昼休みくらいまでは比良は近づけないようにさせて置く。
 僕も、ちょっと先生に用があるから少し留守にするけど。香流はおとなしく保健室に居てくれ、ベッドで寝ていても構わない」
「「廉!」」
 今度は、双子の息の合った言葉に廉が苦笑する。
 結局、二卵性だろうがなんだろうが。この双子はよく似ているのだ。
「なんであたしが追い出されないといけないのよ、って言うか護衛をかねてるんじゃなかったのっ?」
「だって、このままじゃ香流の機嫌悪いままだろ? 比良がつっかかってばかりいるから香流のへそが曲がるんだよ」
 正論を言われると、理系の比良は一気に押しが弱くなるのが特徴だ。
「いい加減にこの状態から開放しろ、私だって授業は出ないといけないのだぞ」
「正当な理由があるんだから大丈夫だって……それに、下手に授業に戻ったって回りに迷惑かけるだけだって自覚くらいあるでしょ?」
「それは……」
 文系の香流は、思わせぶりな事を言えば大体なんとかなる。裏の裏を読む性質がある相手は、気になっている点を盛り込みつつも幾らでも想像できる事を口にしてやれば自滅する傾向が遥かに強い。
「廉は……卑怯だ」
 香流は、正面切って正論で押し出すよりも。
 こうして、勝手に頭の中であらゆるパターンを想像させる方が扱いは楽だ。そうすれば勝手に、様々な事を考えすぎてくれるので策を弄するまでもない。もっとも、策士からしてみれば策を弄する楽しみがなくなってしまうというか、あまりにも手を込んだ策を弄すると返って見破られてしまうと言うオチが待っている事も多いのだが。
「そうですよお、僕はずるいですよお。秘境の温泉探すの好きな程度にはね」
「それって「ひきょう」違いと違うんじゃない?」
「まあ、ひきょうだから」
 視線を廉から逸らしたままでうつむき加減の香流は、まだ何か口の中でぶつぶつと呟いている……どうやら、廉と比良に対する悪口のオンパレードの様だが。聞こうと思わなければ聞こえないくらいの呟きだし、聞いても面白いものではない事くらい知っている。
 負け犬の遠吠えだとでも思えれば、気には触るがさして大した事でもないのも判るのだから気にしないに限る。
「けどさ、大丈夫かなあ? 俺達二人していなくなっちゃって……」
「何とかなるとは思うけど……大丈夫? 香流?」
 言われて、気持ちを切り替えたらしい香流はすでに平然と構えていた。
 こう言う所は、やはり普段の稽古や鍛錬とか修練と呼ばれる行動の中で培われたものなのだろう。ただし、これが自分自身が標的だと言う気構えがなければもう少し気楽に出来たのかも知れないと言う気はするが。
「馬鹿にするな」
 辟易とした顔をする香流は、やはりと言うか何と言うか……このところの四六時中監視状態の自分自身と言う状態にかなり。
 ストレスがたまっているのを、感じていたらしい。
「馬鹿にはしてないけど、心配はするな」
「それを馬鹿にしていると言う、子ども扱いでも構わないが」
 一応、本人は表に出していないつもりではあったし知らない人やクラスメイトくらいならば知覚することもなかっただろうが。流石に廉や比良の様な今も昔も付き合いのある面々や、何故か真も感じ取っていたらしい。
「うわ、もしかして最初は素手で防具付けさせて稽古したの。まだ怒ってるとか?」
 羽香と旗志に関しては、片や途中で合間があったこと。もう片や、まだそこまで深い付き合いではない事から感じ取っているのかいないのか微妙な所だ。
「……とっとと行け」
 比良が横で「なにそれ、何の話!」としつこく廉にくっついて出てってくれたのは、良い事だと香流は思う。仮に、後でその内容を知られてしまったとしても。
 だから、いつの間にか本格的に眠りに入ってしまっていたのは。
 失態なのかどうか、香流には判断がつかなかった。