その12・悪戯と空想の徒競走


 香流の気配が、目に見えて苛立っていた。
「いや、そんな顔しなくても……ねえ?」
 いつもの朝の時間、鍛錬を過ごしてから静謐な朝の時間を迎える。
 相変わらず比良は朝の鍛錬の時間には現れないが、どうやら何時の間にか夕方の時間には参加する様になっていたらしい。少しは前向きになったのだろうかと思ってみれば「いつ香流に悪い虫がつくか気が気じゃないし」と大きな事を言う……どうやら、腹積もりとしては父親系で「俺が認めた奴じゃないと香流との交際は認めない!」とか言う事を父親の目の前で平然と言ったりする。
 ちなみに、当の父親は平気な顔で「比良は香流が大好きなんだね」とか暢気な事を言ってくれるのもイライラの一つだ。
「ちょっと、香流?」
 廉と連れ立って学校に行くのはいつもの事で、流石に比良は自転車通学を続けているので居ないが。代わりとばかりに旗志が現れる様になった……どうやら、羽香のマンションより僅かに久樹家寄りらしい。そのまま自転車で学校に行ったほうが遥かに近いし安いと思うのだが「せっかくアプローチ出来る距離にいるのに。しなかったら馬鹿でしょう」などと平気な顔をして言うのだから困る。更に困る。とても困る。
 と言うより……うざったい。
 これは一体、どういう集団なのだろう?
 そう思わされるのが駅に着いてからで更に頭が痛くなって、たまに真面目に眩暈を起こしたい衝動にかられる。
「あ、香流さん。おはようございまあす!」
 香流が早めに学校に行く為か、真由美は時間を合わせて学校に行く様になってしまった。
 真面目な話、香流は「新手の呪いにでもかけられているのだろうか?」などと真剣に思ってしまい。勢い余ってインターネットでその手の情報を調べてしまったくらいだ……他の誰かに見つかる前に我に返って途中でやめたが。
「真由美、今日も早いな」
 何かを吹っ切れたのか、アレから真由美は何故か非常に香流に近づいてくる。
 流石に、真由美は旗志とは違って転入すると言う荒業は出来なかったらしいが。出来る事ならば引越しも転入もしたかったらしく、旗志の事は半分くらい尊敬の対象に格上げしそうでしないと言う微妙なラインらしい。
「いえ、そんな事ないですよ?
 あ、向坂君も内藤君もおはよう」
「おはよう、荒城さん」
「やあ」
 真由美が旗志と仲良く見えるのは、お互いが戦友と言うか同士めいた感情を持っているからなのだろう。性別が違うのが唯一と言うか最大と言うか、波紋を呼ぶ問題点である事に違いはない筈だが。
 ちなみに、真由美から見たら最大のライバルは廉らしい。
「向坂君も内藤君も、しっかり香流さんのこと守ってあげてね!
 この間みたいなの……もう、心臓止まるかと思ってびっくりしたんだから。なんで二人もボディガード居て全然役立たずなんだろうって!」
 真由美は、何度も思い出しては憤慨し。流石に本人達に何度も同じ事を言うのは罪悪感が生じてくるのだが、それでもたまには言いたくなるらしい。
「面目次第もありません……だから、そんな顔するなって。香流」
「学校でも散々言われたからなあ、武士と緋女と比良に」
 香流の顔は、やはり憮然としたままでご機嫌斜めだ。
 しかし……状況は改善された様でいて、実は全く改善されていないのだから無理もない。
「比良君も、ぴったり香流さんの側についててくれればいいのに……」
「そんな事言うけど、荒城さん二人並んでるところを見たいだけでは?」
「ぎくり」
 廉の鋭いツッコミも、真由美の計算半分ボケ半分も、香流の機嫌を治す役には立たない。
 香流にしてみたら、これが昨日までは他に三人も側について来られていたのだから邪魔臭くてたまらないのだ。
「香流、これでも俺達心配してるんだよ?
 まあ……俺のせいでって言うのもあって申し訳なさもあるけどさ。でも……また、ああいう目に合うのは、俺だって嫌だし」
「抵抗すると決めれば、私は傷一つ怪我一つなく逃げおおせる事も可能だ」
 事が起きたのは数日前、最初にあったのは香流が構内で歩いている時だった。
 当然といえば当然の事なのだが、聞かれたのは内藤旗志との関係。
 答えようがないと言えばない……彼が元々、双子の弟と戦う為に姉に近づいたなどと言うあたりの問題やら背景やらは、彼女達には全く関係ないのだ。
「決めればでしょ、でも女の子相手に戦えるわけですか?」
 香流は性格的な問題もあって、かなりぶっきらぼうに答えてしまったらしい。
 しかし、香流の評判とかを知っている以上は構内の女生徒ははっきり正面から喧嘩を売ったりはしない。それは香流が過去と違うからだと言うのを知っていたり、敵は少なくなった分味方が増えていたり。比良や廉の存在もある。
「……必要とあらば、戦わなくてはなるまい」
「それって、なんかかなり信用度低いんですけど……香流さん、優しいし強いし尊敬してます。そう言うの、すごく難しいと思うし……だけど!」
 しかし、世の中には「知らない」と言う人種が必ず存在する。
 そう、例えば元々の内藤旗志が通っていた学校の生徒であるとか。意外でもなんでもなくモテるルックスを持っている彼の自称ファンであると言う、周辺の中学や高校の生徒達。
「真由美、過大評価は嬉しいが。私は弱い」
 彼女達は、まるで暗示にでもかかったかの様に一様に旗志の命令には忠実に従う輩がほとんどで。旗志に気に入られる為ならばどんな事でもすると、普段から豪語するくらいだ。
 旗志は、彼女達へのフォローをしなかった。
 それこそが、今回の事件を生み出したといっても良いだろう。
「あ、自覚あったんだ? そうだよな、木刀持ってちょっとやりあったくらいで皮が簡単にずる向けするくらいだもんな」
「廉……!」
 その日、たまたま廉は側に居なかった。
 他の誰も、香流の側に居なかった。珍しい事ではあるのだが、怪我も多少良くなってきたこともあったし廉の用事も外せないものだったから香流は一人で下校する途中だった。
「元々、基礎が出来ていたのに前と同じように動いたら。そりゃあ体もついていかないよ」
「旗志君まで……」
 駅のホームで、香流を呼び止める声があった。
 香流は、いつもの調子で彼女達の相手をしたのだが。いつもと違うのは、その彼女達が香流の見覚えのない人で同じ制服を着ていないと言う事くらい。
 だけど、香流は危機感を覚えてはいなかった。同性故と言う所だろうか?
「それって、どういう事?」
「そうだなあ……判りやすく言うと、登山靴って革靴なんだけど。何度も履いては皮をなじませないといけないんだ。で、新しい革靴って言うのはどんなに頑張ってスプレーとかしても水が染み込んだりして足に負担をかけてしまう。
 きちんと体に合った靴に仕上がるのは、買う前じゃなくて後からって所かな?」
「香流さんの体って、革靴と同じ程度……?」
 知らなかった彼女達は、生意気な口をきくと判断された香流を囲んで女子トイレに連れ込んで……乱暴した。
 香流の態度も悪かったと言う話もある、だが波紋を投げるには十分な一言であった事も確かだった。
「成分的には、部分的にさほど違いはないだろうが……ちょっと嫌かも?」
「香流を履く……なんか卑猥な言葉だね」
「そう言う考えが偏っていると言うのだ、廉」 
 香流もやられっぱなしと言うわけではなかったが、いかんせん狭いのと多勢に無勢だった事もあった。煙草の火を押し付けられるなどと言う行為をされなかったのは助かったが、おかげで色々と面倒な事になった。
「え、そうかなあ?」
「天性たらし男だって言う噂、私聞いた事あります!」
「荒城さんの情報源って、どうなってるんだろう……」
 通りがかった同じ学校の生徒が居てくれたから、それ以上の騒ぎになる前に加害者の少女達は逃げた。もっとも、顔は見られたので対処のしようがないと言う事はない。
 もしも相手が見つかったら、恐らく相手に同情したくなるほどのことが起きるだろうと。香流達と同じ学校の生徒達は思っているだろう、それだけの事をしたのだから。
「その紫色の染められた色眼鏡を外して、少しは物事を見るべきだな」
「辛辣ですねえ、香流さん」
「的確なだけに反論のしようがないね、向坂」
 しかし、怪我をしていた所にコレなのだから香流にしてみれば踏んだり蹴ったりだ。
 はっきり言って、双子の関係や幼馴染の関係、危険な転入生……考える事は山ほどあるのだ。そこに来て他の事にまで手をかけたりなど、そうそうしていられるものではない。
「色眼鏡度で言えば……僕よりも数段上な方々が居ると思うけど」
「誰の事だ?」
「俺のことじゃあ、ないと思うけど……」
 もっとも、すでに香流もやる気はまんまんと言った感じだ。
 怪我さえ治れば、この間よりもスムーズにスマートにスマイリーに事を納める事が出来るだろうと思っている。
「え、まさか私っ?」
「いや、荒城さんだけじゃないから」
「俺も入ってるとか言う?」
 少なくとも、香流本人だけは。
 残念な事なのだが、同意してくれる人物が皆無なのは香流にとって心の底から衝撃的だった。
「うるさい」
 廉に言わせれば、男でいた間に培われた騎士道だか武士道だかの精神「弱者、特に婦女子には礼節を持って接するべし」と言う家訓にも似た教えを体に叩き込まれた成果と言うものがある……まあ、今は叩き込まれた方の体には居ないが。
 その辺りは旗志や比良も同意権と言うあたり、何やら香流は悔しい気がしてならない。
「まったく……向坂と荒城さんがうるさいから俺まで……」
「うわあん、香流さんごめんなさい。謝りますから……」
「なんで僕まで、って言うよりずっと香流こんな感じだけど」
 おかしな事に羽香と真と真由美の意見は「腕っ節が問題ではない」と言う不思議な共通意見があった。その際、何故か真は女性の意見についてしまった事もあって茶々が入って小さな騒ぎにはなったのだが。まあ、それは余談である。
「やかましい」
 香流は、なのでずっと考えている。
 何を持って皆して香流に「一人では駄目だ」と言うのだろうか? 比良だった時は喧嘩を売られたらこっそりたたきのめすなり眼力で追い払うなり出来て楽だったのに、女になってからは一々大騒ぎになって面倒でたまらない。
「香流、言葉遣い。流石に乱暴なのはまずいって」
「え、でも香流さんの悪ぶってる姿ってカッコいいかも!」
「って、荒城さんって結局香流ならなんでもいいわけ?」
 何故?
 どうしてこの三人、駅とか電車とかでは常に三人まとまって会話しているのだろう?
 神様とやらが存在するのならば、心の底から「馬鹿野郎」と怒鳴りつけたい衝動にかられる……いや、神様とやらが男性とは限らないから女性だったら「女郎」といわなくてはならないな。
 とか考えてる時点で、現実を放棄しているか余裕があるかのどちらかだ。
「いいかげんに……」
「あ、電車来ちゃった……じゃあ、香流さん。また!」
 声をかける間もなく、真由美が電車に吸い込まれるようにして乗り込んだ。
「本当なら、私よりも真由美を守る必要があるのに……」
 幾ら香流でも、他校生でたった一人で香流と関係があると言うのは知れ渡っている事もあって。あまり良い噂は聞いていない、それは良くない噂になってきている事を知っていたりする。
「大丈夫だよ、香流。
 荒城さんはずっと女の子だったし、それに彼女は従兄弟が従兄弟だからね。下手に手出しはされにくいって」
「廉……嫌味なのか慰めなのかよく判らないのだが……」
「え、従兄弟って?」
 嫌いではないらしいが、インディーズバンドには知識が深くないと言う旗志が考え込みながらも何とか納得したらしい。確かに、そう言う関係をバンドではなく学園のアイドルとか部活で活躍している人とかに当てはめれば想像しやすいと言う事なのだろう。
「慰め半分、嫌味半分って所かな?」
「……廉、後でお祖父様の稽古に付き合え」
「うわ、冗談はやめてね。真面目に」
「案ずるな、私はお祖父様の命令で稽古はつけてもらえない」
「えらく『とほほ』って気がするんだけど……僕だけ先生の稽古? うわあ」
 流派の問題とか時間の問題があって、一度くらいは稽古に参加してみたいと言う事なのだが。どうしても物理的精神的に無理な事と言うのは存在する、同じ学校に入り込むのとは、場合と状況と理由が違う。
「まあ、香流と付き合いたいとか言ったら話は別だろうけど?」
「向坂もされたわけ?」
「僕はほら、年季が違うから……」
「何の話をしてるんだ、貴様ら」
 度々思うのだが……何故だろうかと本気で香流は思う。
 自分にはわからない、理解出来ない、想像もつかない様な事を平気で会話する。
 男の経験を持つ女だからなのか、それとも生来の性格なのか。少し前に状況に慣れる前までは前者だと思って決め付けていたけれど、流石に今ではそうではないだろうと言う気がしてならない。認めたくないが。
「ええと……『久樹香流を落す理論』の展開?」
「なんだそれは……」
「どっちかと言えば『向坂廉のナンパ術』じゃないのか?」
「旗志君……」
「それこそ『ナニソレ』なんだけどなあ、香流もいちいち反応しなくていいよ」
 勘弁して欲しい。
 事情を知らないで言っている場合も困るが、事情を知った上で言われるのは……更に困る。冗談じゃないと言う程度には、困る。とても。
 ただ、面白がっているのか違うのかくらいは教えて欲しいと切に願うのだが。
「なんであんたにそんな事まで言われないといけないのよ!」
 たわいも無い話に無理やり切り替えさせて、精神的に疲れたと思いながら学校まで来てみれば。珍しく、羽香と真が先に教室でバトルを展開させていた。
「おはよう、諸君」
 羽香が珍しく、本気で怒っているのを察した。
 普段、暴れん坊の若様と言われることが多いけれど手加減をしているのを幼馴染達は知っている。羽香にとって暴力で誰かにいう事を聞かせると言うのが、いかに無意味なのかを体験から知っているからだ。
「説明を求めても構わないか?」
「久樹姉、なんとかして!」
 どんなに暴れても、暴れれば暴れるほど羽香の両親は羽香をもてあますようになったから。だから、道場にいけなくなった原因の半分以上はそこにあったのだろうと羽香は自嘲的に言った事がある。
「羽香は何を怒っている?」
 求めれば求めるほど、両親は希望とは反対の方向に偏っていく事を覚えたから。
「判れば苦労しないって……ちょっとやばいよ、若様の目据わってるし回り見えてない」
 クラスメイト達が異変を感じるほど、羽香の目は真剣だった。
 真が、なまじ下手に腕が良かったりするのも原因の一つだろうと香流は思っている。
 過去の話を聞くだに、一介の中学生が酒が入っている席とは言っても集団の野郎どもの中に入って女の子を連れ出すなどと言う芸当を行えるとは少し思えない……しかも、そのうちの一人がその後で女の子を襲うつもりだったならば自然とお酒をセーブしていただろうと思った。
「本当だ、香流が着てるのに目に入ってないね」
「面白くもなんとも無い」
「うわ、厳しいね……」
 羽香は基本的に、好きなもの至上主義だ。
 だから、かつては両親が一番だった。けれど両親にとって羽香は一番ではなくなって、頑張って努力したけど羽香は距離を置くこと。両親と自分自身が別固体の存在、別の存在、他人である事を学んでしまった。
 暫く、その場所は空白だったのは確かだろう。
 香流や比良、廉と言った幼馴染グループは他の人たちより順位は上だろうが決して頂点に立つことはない。そう言う存在ではないのだと、自然と理解してしまったから。
 けれど、今は事情が絡み合って香流の立場はそれよりも更に特別になってしまっている。その香流が現れたと言うのに、まるで殺戮人の目をして本気で憎んだ目をして、今。
「タイミングを合わせる」
「了解」
 どこにでもある普通の学校の、普通の高等部で、なんで朝も早くからこんな現代時代劇とでも呼ぶ様な場面に出会わなくてはならないのか……と言う気はするのだが、ここで香流達が間に合わなかったら怪我人くらい平気で出るかも知れない。出たかも知れない。
 そう思えば、間に合ったのは僥倖なのだろうと意識を切り替えた。
「1」
「悪いとは言ってないけど、依存しすぎだぞ!」
 誰かが「へえ、そうなんだ」みたいな事を言っていたが。
 観客は気楽だ、とも思わなかった。
「2」
「な、何が依存よ! 真の方こそ依存じゃないよ!」
 別の誰かが「あれ、もしかしてあいつら……」みたいな事を言って、別の誰かが「あれ、付き合ってなかったの?」みたいな会話をしている。
「3」
 そして、飛び出すのに一泊も必要がないのを二人は知っていた。