結果から言えば、香流の言い分は香流本人としては行おうとして。阻止された。 つまり、学校にきちんと登校して、授業を受けて、と言う奴である。 学校に辿り着くまでは黙ってみていた廉ではあったが、朝も早くから喧々囂々と教室に鞄を置いた直後に香流を保健室に連行しようとして反抗され。その喧嘩は珍しいもの大好きなクラスメイトのおかげで十重二十重に見物され、遅刻より遥かに早いがいつもより遅めに登校した若様姫様コンビが喧嘩をしながら登校した所。 「一体どういうことなのよ、香流! 廉!」 あまりの形相に、一部「若様ファンクラブ」の面々が「あの人誰?」と言う状況になったくらいである……いつもならば暴走する若様を止める筈の姫様も、何やら朝から体力を使い果たしてしまった状態になっていたので状況説明を求めた面々に「勘弁して」と突っ伏したままの状態だ。 しかも、廉は香流の様子を羽香に教えてしまった為に廉と手を組み。強制的に保健室送りになったと言う、なんともあからさまに説明的状況に陥ったりしてみた。 「冗談じゃないわよねえ……ねえ、廉? 私、やっぱり貴方なんかに香流を任せておくのって心の底から心配なんだけど?」 実際、二人が睨みあいながらも……状況としては一方的に羽香が廉に怒っている様に周囲には見えるだろうが。内心の廉は珍しく、本当に珍しく心から怒っていた。 「やだなあ、羽香。僕達の関係なんて今更なんだから、それこそ今頃難癖とか付けられても……ねえ?」 「ねえじゃねえし」 この状況の、どこを取っても喜ばしいところなど何一つないからと言うのが言い分で。冷静になってみれば、香流も色々と迷惑をかけているという点では謝らなくてはならないと思いつつも。その隙はどこを探しても見当たらない……しかも、本能的に香流は謝りたいと思っている事と廉が謝ってほしいと思っている事が食い違っている事を感知しているので、下手に謝るのも憚れると言う何とも困った状況だ。 「この状況で誰に同情したら良いのか、先生困っちゃうわねえ」 笑いながら言うのは、保健の養護教諭だ。 まだそれなりに若いが、ある程度は年齢を重ねているのでスクールカウンセラーの真似事をしていると本人は言っている。その為か、割と休み時間などは生徒が尋ねてきたりする……もっとも、別に美人とかに入る顔立ちをしているわけではないから真面目に相談しに着ている生徒も結構居たりするのだが。 「先生……」 「だって、久樹さんがこんな怪我してきてるし。話だけ聞いてると向坂君のせいだって言うし、そこだけ見たら武士さんの気持ちもわかるしねえ? でも、向坂君って別に意味もなくこんな事する子じゃないでしょ?」 香流の足の裏は、二箇所ほどずり向けている状態だ。よく歩けたものだと褒めてあげたいくらい……一つのずりむけは、大きめな水ぶくれがみっつくらい寄り集まったくらいの大きさだ。 両手に至っては血豆が3つ。しかも、そのうち二つは完全に潰れてしまっている為に物を持つと言う行動に関してもまた、やはりよく出来たものだと褒めてあげたい。 「お手間を取らせてしまい、申し訳ありません」 「しかも……当の怪我人がコレなんだもの、なんか色んな意味で同情しちゃうわ」 香流は、理解出来ない時の特有の「複雑な顔」をする……大体は周囲にはその表情こそが理解されないこともあるのだが。幸いなのか不幸にもなのか、今はこの部屋に香流の事を理解する人物が二人も居る……理解されるのは嬉しいが、それでも喧嘩の種になるのが香流には少し嫌だった。 「授業が始まりますので、これで……」 「「ちょっと待て」」 手当てが終わって、教室に戻ろうとした香流を止めたのは喧嘩中の二人だった。 こう言うところ、昔取った杵柄なのか妙にタイミングが良い……やはり、呼吸と言うのは似てくるものなのだろうと得心する香流と、妙に笑っている養護教諭と、心から嫌そうな顔をする羽香と、どう感じているのか判らない笑顔の廉が居る。 「だが……」 「そうね、せっかくだから少し様子を見ましょう。怪我の手当てはしても発熱くらいするかも知れないしね、この後で倒れたりしたらその方が回りに迷惑かけるんじゃない?」 「ですが、怪我の一つや二つなど……」 「絶対に駄目だって、香流傷だらけの怪我だらけなんだよ。少しは気をつけなよ……せっかく綺麗な肌と可愛い顔してるのに……」 道場で第一線を潜り抜けてきた比良の肉体だって、それなりに傷だらけだった。 けれど、比良の時は体力もあれば鍛えれば鍛えるだけ肉体は答えてくれた……けれど、香流の体は違う。もしかしたら、かつて香流は肉体が追いつかずにいつか壊れてしまうと感じたからこそ鍛錬をする事を諦めたのではないだろうか? 「そうねえ、女の子が傷跡とか残るのってねえ……」 ため息混じりに養護教諭にまで言われてから、廉は羽香を連れ出した。このままでは延々とお説教の嵐で、いつになったら教室に戻れるか判らない。香流は怪我人なのだからともかく、単なる付き添いの廉と羽香が帰ってこないと今度は香流に迷惑がかかる。 「久樹さん、次の時間までとりあえず眠って。後はそれから考えましょう」 「はい……」 香流は、やはり……機嫌が悪かった。 良くないと言う程度には悪く、悪いと言い切るよりは良かった。少し、やはり寝不足が解消されるせいだったのかも知れないが。 「……起こしちゃった?」 だから、目が覚めたのは人の気配を感じたからで。 少し戸惑ったのは、その顔をとてもよく見慣れていたからで。 「……お前か」 「先生、少し用事で出るって。双子だから心配して来たんだろうって、特別に入れてくれるってさ……いいのかね?」 笑う、比良の顔。 一年にも満たない以前、それは自分自身の姿だった。けれど、今は違う。 あの頃には戻れないし顔だって、少し変わってしまった。 「私は、お前が嫌いなんだろうと思う」 「……ちょっと、きついんですけど。その台詞」 「私が鍛えた体で、私が作った人生を、お前は簡単に奪った。別に、問題はそこではない」 言い返そうとした比良を、先に香流が言う。 まるで、噴火する前の火山に蓋をしたかの様に。 「元々は……お前の体だ、好きにすればいい。私に勝手に押し付けたように、勝手に奪い戻せば、それでいい」 どこか、香流は見ていなかった。 まだ、少し寝ぼけた感じなのだろうか? 考えてみたら、廉と羽香が姿を消した直後に眠ったとは言っても一時間もたってはいないのだから十分とは言えない。 目覚めてしまったのは、何故なのだろう? 「香流は……ずっと、そう思ってたの?」 「現在進行形だ」 鏡をのぞいて、そうして言っている様な気分だった。 どこか、現実を感じない。 手を伸ばしたら相手も伸ばして、そうして冷たい壁が両者を押し戻そうとするのではないか? そんな気がする。 「私は、嫌だ」 聞かなくても、判る気はした。 香流は、ずっと「女の体」が嫌なのだと。 確かに不利な点は多い。男より体力はないし、身長も筋肉も全然足りない、すばやさはあるかも知れないが持久力も耐久力も男より遥かに少ない。 毎月、強制的に体調不良に落とされる事だって男にはない。 夜中に歩いていても、女より危険度は少ないと一般的には思われている。実際にはそうではないかも知れないが、大人が子供や女に対するイメージとはそんなものだ。 「何故だ」 疑問符を言った直後に、香流は答えを得ていた。 そんな事、判りきっていた。 他に、どうしようも無かったからだ。それでもお互いが思って、願ってしまったからだ。 自分達以外の事を考えて、感じて、計算してしまったからだ。 ただ、そこに自分自身の「思い」だけが入っていなかった。それだけの話。 「けど……そうしたら、そんな事したら『久樹香流』って女の子が死んじゃうじゃないか。 俺に、姉殺しをさせたかったって言うの?」 全部を言わなくても、通じてしまう。 全部を聞かなくても、判ってしまう。 思ったことも感じた事も、全てが通じ合ってしまうのは。 「違う、私は戻りたくなかっただけだ。だから、お前を見て嫌悪する」 それだけだと告げるのは、矛盾を孕んでいる。 判っている、香流には判っている。 入れ替わっていた精神や、魂と呼ばれる科学的に解明出来ない存在。物体。あるとすればだが、それが片方に二つ入ろうとしたから追い出されて、たまたま一番近い所にあった器にぴったりと入り込んでしまった。 真相は、そんなものだ。 けど、そうしなければ死んでしまうのだ。 「香流は、俺が嫌い?」 伸ばされた指を、香流は避けなかった。 本当は、まともに物が見えていると言うわけでもなかった。輪郭がぼやけて居るのは、単に寝不足なのだと言い聞かせるのが精一杯で涙がたまっているのだとは死んでも認めたくなかった。 だから、伸びた指が目の渕を押さえて無理に涙を流させても認めたくなかった。 「俺、前より今の方が評判良いと思うんだけど……」 「他人の評価など知ったことではない」 「でも、俺は香流が好きだよ?」 何かを言おうとしたけれど、香流は黙った。 何を言っても、攻撃する言葉でしかない。攻撃をしてしまえば、それは同時に自分自身に突き刺さる諸刃の剣となってしまう……それだけではない、どうせ後になって自己嫌悪に際悩まされるに決まっている。 「高校生にもなって、何を甘えた事を言っている」 「うん……甘えてたんだって、今なら判る」 過去の数々……小学生も低学年から、香流はやたらと比良に対して「あたしはお姉ちゃんなんだからね!」とばかりに比良を使いたい放題に使いまくっていた。おかげで、学校では女の子にかなり嫌われていたけれど、一度だけ香流が女の子に苛められて足をくじいたときに見せた比良の怒りがあって。それ以来、表立って香流が苛められる事は無くなったものの、香流も何か思うところがあったのか学校ではおとなしくなっていた。 ただし、家では比良が暇そうなときに限って「コンビニでお菓子買ってきて」等と使いっぱしりよろしく状態が続いていたが。 「あ、起きた?」 「やっと起きたあ、心配したんだよお?」 何時の間に意識が落ちたのか、次に目が覚めた時の香流の側には廉、比良、羽香、真、そして……。 「おはおう」 「って、俺の事スルー?」 「忍び込むにしては堂々としていると、感心はする」 「いや、そうじゃなくて……」 妙に受けた笑いをする面々の中で、一番笑っているのは言われた当人だ。 「結構度胸あるよね、確かに」 「よくも悪くも?」 「そうそう……流石に、次の日って言うのは驚くよねえ。しかも理由が理由だし」 「初恋だからね」 「え、嘘ぉ! その容姿ならさぞかしモテるでしょうに! なんかガッデム?」 「なんで英語……しかも悔しい?」 すっと、起き上がった香流が指を空中に滑らせただけで一同が口をつぐんだ。 怒っているわけではない様だが、あまりにもうるさいので「黙れ」と言う意思表示だったのが妙な連携を通して通じてくれたらしい……おかしい、ここには双子の片割れと幼馴染以外も存在する筈なのだが? 「廉、説明を求める」 確か、廉は香流が目覚めた時には少なくとも養護教諭の机あたりに居たと思ったのだが……とは思ったが、香流はあえてツッコミを入れなかった。とりあえず、今一番近くに居るから言ってはみたものの羽香が「ずるい!」と言い出しているのを無視すれば大した問題ではない。 「それってどっちの話?」 本当に嫌な奴と言うのは、別に顔つきが悪いとかちょっと乱暴と言うわけではないのだと。廉と一緒に居ると何度だって香流は思い知らされる……これは、昔から長い付き合いだから思うのかも知れないが。 「この面子は? 今の時間帯は? 養護教諭の居所は?」 とりあえず、ここでお説教を垂れていても問題のすり替えになるだけなので淡々と香流は口にした。妙に口の中で不味さを感じた顔をしたのを見計らったと言うわけではないのだろうが、良いタイミングで羽香を経由して真が飲み物を渡してくれたのはありがたい。 「僕と羽香と緋女は、同じクラス代表って感じで。本当は僕だけでよかったんだけどね」 当然の事とばかりに、羽香が余計な茶々を入れそうになって真が事前に防いで。関係ないところで何故かバトルが展開をし始めてしまったが「ここは保健室だから追い出されたかったらどうぞ」と言う廉の冷静な言葉に渋々羽香は暴れるのをやめた。 更に当然の事で「後で覚えてなさいよ!」と言う捨て台詞は着いてきたが。 「あ、俺は双子特権で」 「あれからずっと居たのか、貴様……」 目覚めた直後に「あれは夢だったんだろうか?」と言う楽観的希望的観測の元に思っていたことは、あっさり当事者の比良によって却下されてしまった……微妙に憂鬱になる。 言いたかった事ではあるが、言って良いことだったかどうかは正直判らない。 まるで「殺してくれ」と訴える受刑者の様で……いや、香流は決して犯罪者でもなんでもない。どちらかと言えば被害者でしかなくて。 「内藤君は、転入生。名目は『転入したてなので構内案内中』って所」 「よろしくね、香流」 「なんで呼び捨て……!」 「同じクラスになれなかったのは残念だけど、チャンスは幾らでもあると思うから」 旗志の言葉に比良が反射に近い速度で反応したが、旗志は妙に手馴れた感じでさくっと無視した。もしかしたら、先ほどの香流がツッコミを入れなかった事の仕返しを比良でしているのだろうか? などと、どうでも良いことを考えてしまう。 「時間はお昼休み、一応お弁当持参。養護教諭が職員会議で留守の間、ここは密閉された秘密パーティの会場って事で占拠したのが事実」 本当に、内藤君って大胆だよね。 廉の言葉は、妙に棘が無くて……故に、嫌な感じを香流と真は受けた。 「他に聞きたいことは?」 なんで顔は笑ってるのに、妙に怒っている感じなのだろうかと思って……。 否、今朝のことがある以上は怒っても当然かと思いなおす。 「怒ってるか?」 その質問については、どうやら完全に虚を着かれたらしい。 一瞬、廉が真面目に返事をし損ねたのを割り込むのは当然とばかりに、羽香が口を出す。 「あったりまえじゃない! 何を朝から香流を傷物にしてるのよ、廉のばかばかばか!」 「つき合わされてるって意味じゃあ、怒ってるかなあ……」 真も、ちゃっかり羽香の尻馬に乗ってみたりする。 何しろ、ただでさえ大変迷惑をしているのは確かなのだ。クラスでも姫様若様を知ってる奴等にしてみれば「暴れん坊の若様を諌めるのは美しき姫様だけ」などと言う、嘘八百に近い事を吹聴していたら……事実、学校中でそう言う事になっていた。 ので、羽香が暴れると当然真に「若様暴れてる」と連絡が入るのだ。自動的に。 「いや、それは……」 「そうだね、話聞いたら徹夜明けだったって言うしね。二人とも」 余計な一言を入れた比良は……やはり、怒りが言動の理由らしい。 にやりと笑顔を作ってみれば、旗志もむすっとした顔で「何勝手に傷物にしてるわけ、君達」とか言っている。 「そう言えば、内藤って転入の時の挨拶が『久樹香流を追いかけて来ました』とかって言うの、本当?」 などと伏兵と言うより何の関係もなく居る筈の真の爆弾的一言と。 「へえ、もう知れ渡ってるんだ? 意外とニュース早いよね。大きな学校の割りには」 などと肯定するものだから、にわかに保健室は大騒ぎとなっていたりする。 ……外で聞き耳を立てている生徒達からしたら、この騒ぎは格好の娯楽になっているのを香流は痛感していた。 「ちなみに……」 妙な連携をしつつ、誰かがぼそりと呟きながら。別の誰かがツッコミを入れ、そして他の誰かが騒ぎまくると言うパターンが出来上がってしまい。 何故か、中心にある筈だった香流はぽつねんと置き去りにされていた。 「廉……」 「僕は、申し訳ないと思ってる。怒るよりも」 「……済まない、私もどうかしていた」 「まったくだよね、本当」 ため息をつきたいのか、それとも呆れたいのか、もしくは笑いたいのか……そのどれとも取れる空気を感じて香流は肩身が狭いと感じる。 「ところで、お昼食べる? 食べられそう?」 「ちょっと待って! 香流への『あーん』は私がやるから。譲らないから!」 視線だけで香流は真にSOSを頼むが……あっさり視線を逸らされた。 内心、香流は「裏切り者め!」と叫びたい気分になる。が、状況をよく見れば判る事。 「いいよ、羽香。ここは怪我させた責任って言う事で僕が……」 「いやいや、転入生として親睦を深めたいなっと……」 「旗志! てめぇは新参者のくせに生意気だぞ! って言うか、二人とも香流と俺が双子だって事忘れてねえかっ?」 この状態である、真が下手に羽香に食って掛かって。余計な誤解だの攻撃だのを食らいたいなどと思ったら、それは単なるマゾヒストだ。 |