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 何か大変な事があるとすれば、この場合は全てひっくるめて「翌日」がそれに当てはまると言えただろう。
 実際、全てが始まって終わるのに二十四時間もたっていなかったのだと知らされた時点でため息を付きたくなったし。あの後で車に乗せられた優子が色々な意味でこっぴどい目に合わされ、真一は真一で半年振りに目覚めた容疑者が逃亡したと言う事で警察に小半時ほど拘留され……ちなみに、これは忍が裏から手を回してくれたので小半時で済んだわけなのだが。
「真一……もう、あんたまでいなくなるかと思ったわよ……」
「ごめん、母さん」
 世間から見れば半年振りの、真一から見れば三日ぶりくらいに見た母親は。
 一体、いつからこんなに小さくなっていたのだろうかと疑問に思うくらい、一気に年を取っている様に見えた。
「正和は入院したって言うし、あんたは事故にあってから入院していたのに病院からいなくなったって言うし……」
 泣きながら訴えてくる母親が、万が一嘘など言っているのだとすれば。これはもう、世界規模で真一をただ一人陥れる為のドッキリに違いないと思うほど、何もかもが変わった。
 それくらい、衝撃的な夜だった。
 だが、問題はそこから始まった。
 いつもならば仕事に出ていた筈の母親は、7ヶ月前の真一が入院した頃からの話をしたがり。その時、何度も真一をガラス越しに見舞ってた神河優子と知り合ったりしたと言う。
 そして、同時期に正和が全く家に帰らなくなっていたこと。今更ではあるが、正和と真一が半分は血の繋がった兄弟である事……二人の両親のことなどを、母親は夜明けまでかかって語った。
 しかし、母親は良い。
 何と言っても夜が彼女の商売時間なのだから、昼間寝るのは問題ないだろう。しかし、真一は世間的に見て中学生……あれだけハードな時間を過ごしたと言うのに、あっさりと母親は「学校へ行け」と無情にも言い放ったのである。
「神河さんとね……約束したのよ、今度。ちゃんと真一や正和と向き合う事があるなら、ちゃんと話をしようって。今更、あんた達は『母親』なあたしを求めてはいないかも知れないから、まずは話をする事を始めたら良いんじゃないかって……」
 正和は、忍が己の家の権力を駆使して責任を持って世間から隔離すると言った。
 現代の科学では、正和の事は「眠っているだけ」だと判断されるだろうと言う状態で。
 下手な宗教に言わせると、腐らない死者=聖遺体と言う扱いを受けるほどの状況なのだと言う話だった。
「……うぜぇ」
 げんなりした表情をした真一は、気分的には三日だが実質は半年以上ぶりに現れた学校で教師にも生徒達にも驚かれ、まとわりつかれ、十重二十重と囲まれた。
 その群集の中に、優子はいなかった。
 気にはなっていたが、聞くに聴く事なんて出来ない。何しろ、昨夜あれだけの大立ち回りをした当の本人が一晩たっただけで、あれは夢だったのだと言われたら納得しそうになっている自分自身を発見してしまって。
 だけど、手元に残っている。
 ぼろぼろになってしまっている、薄手の軍用コートを制服の上から羽織った姿は悪くない気がする。
「あ……」
 思わずこぼしてしまった声に、反応したのはクラスの女子だった。他にも知ってるのや知らない生徒達が真一を見物しに集まってくるので余計に疲れを覚える。
 こうなると、昨日一日を走ったり暴れたりで過ごした方が余程マシだった様に思えるから不思議だ。
 当然の事ながら、まだ全てを説明しては貰っていない。真一は、警察から解放された後で若手の刑事が私物だと言う車で送ってくれて「優子様と言うより、あの人たちには僕も警察全体も随分とお世話になっていてね、これはサービスだから他の人には内緒だよ?」とか言っていた。
 一体、どんなつながりなのだろう?
 しかも、連れて行かれたのは全く見覚えのない民家で。出てきたのは、こう言う住宅地に住んでいて全く不思議のない、極普通の女の子で、ついでに言えば……知っていた。
 つい半日ほど前、電話でしゃべった女だ。
 冷たい印象を与える銀縁のフレーム眼鏡を当然の事として使っている、頭の良さそうに見える実際に頭の良い女であり。
 少し、話をした。
「またサボリだっただろうねえ、相変わらず変わってるよね」
「どこ見てるんだかわかんねえ顔だよなあ、あいつにじーっと見られたら薄ら寒いぜ」
「え、お前あいつに見られたことあるわけ?」
「なんだかさあ、どこ見てるか判らない角度見てる事あるだろう? こっちも急に気がついたから驚いたってのもあるから『何ガンつけてんだよ!』って言ったら慌てて違うとか言ってさあ……」
 気分が、悪くなったのは当然だろう。
 彼らと自分とでは「立場」と言うものが全く違うし、彼らは何も知らないのだ。それは幸福な事であると同時に可哀想だと言う気にになる。
 もしも「彼女」がどんな人物で、一体何を学校以外の場所でしているのかを知ったら、きっとそんな事は言えないだろう。彼女だってそれを言ってしまえばいいと思うけど、何故言わないのか……。
「そう言えば、あいつ小学校の6年の運動会の時に遅刻してきてさ。本当は朝早くから集合だったのに寝坊したとか言うから、俺達すっげぇ怒ったのに、あいつ何も言わなくてさ。
 後で、本当は熱あって寝込むほどだったんだと。終わる前に帰ったけど」
 変な奴だな、それなら最初から来なければいいのに……。
 そう言えば、前も行事の日に熱出したとか言う話あったけど、本当はあれもサボリだったんじゃねえの……。
「あ、尾崎ぃ?」
「悪い、便所」
 気分の悪さを、覚えた。
 遠巻きに何人もの視線を感じたり、話題の中で神河優子の悪口を聞いたり、これまでと何か違う事でもあったのだろうかと自分自身の中で疑問を持つけれど、そんな事はない。
「およ、どうかしたの?」
 驚いたのは、考えている人物が急に目の前に現れたからであって。それ以上でもそれ以下でもないのだと、自分自身に言い聞かせるのは意外と面倒くさいのだと知った。
「気分でも悪い? 僕、これから保健室行く所だけど君も行く?」
「……うるせぇよ」
 昨日着ていた制服とは、形は同じだがくたびれ方が違う所を見る限り。どうやら、同じ制服を何枚か用意していると言うことなのだろう、案外平気そうな顔をしてはいるが昨日はあれだけハードなことをしておいてこの状態ならば、案外丈夫なのかも知れない。
「うん、余計な事だったね。
 だけど、あんまり無理しちゃ駄目だよ? 一応、死地から帰ってきたことになってるんだから」
 ぎょっとした顔で優子の顔を見つめて見るが、言った本人は何故真一がそんな顔をするのかわからないと言う表情をしている。
「あんな事件の後で、あんな遅くまで暴れてたら疲れちゃうよね」
 微妙に笑みを浮かべている様に見えるのは、場所が学校だからに過ぎない。
「なあ……なんで知ってるんだ?」
 ひたり、と優子の動きが止まった。
「……何が?」
「俺、この半年の間ずっと入院してたって話しは聞いたけど。桜もおふくろも、あの刑事も事件にあったなんて言ってなかった」
 母親は何も知らなかったと言う話だし、刑事には容疑者になっていると言う話は聞かされた。もっとも、それに関しては上層部から追求禁止された為に釈放されたのだが。
「うん……僕、知ってるから。居合わせたから、だね。知ってるのは」
「あのヤマナカとかって人か?」
「そっか……きゃおりに会ったのか、じゃあ。
 知ってるよね? 僕の……」
 罪を。
「僕、やっぱり早退するね。気分よくないからって、先生に言っておいてくれる?
 そうそう、僕の分の給食。久しぶりに学校に出てきた尾崎君にプレゼントするよ」 
「あ、おい……」
 とても、自然な姿で態度だった。
 優子のとった行動は、知っている真一だけではなく知らない誰かが見ても不自然な所など何一つ見つからなかっただろう。
 ただ、最後に優子が唇の前で人差し指を立てた事さえなかったら。
「尾崎、どうしたんだ?」
 幸いにも、優子の態度は他の誰にも見つからなかった様だ。普段は人通りのある廊下だと言うのに、誰一人からも見つからなかったのはラッキーと言えるだろう。
「入院ボケか?」
 笑いながら言う教師の顔を、理由なく殴りつけたいと思ったことはあったけど。
 今日は、理由があった。
「神河、気分悪いから早退するってさ」