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 一年の間で半年と言うものは、かなり大きいウエイトを占める。
 相変わらず、真一は半年以上も入院していたせいで色々と問題があったが。それとは全く関わりがあるんだかないんだか判らない常態で、優子は優子でのんびり過ごしている様に見えたわけで。
 お呼び出しこそ真一にはかからなかったが、時々。連絡が入ったと職員室から呼び出されて慌てて早退する優子の姿を見る度に、どうしたものかと言う気が沸き起こる事もあった。
 けれど、学校での真一は優子とは全く接点がない為に。こう言う風に一言で言いにくい関係が出来てしまっても連絡の取り様がない。
 もっとも、連絡を取ったからと言って何をどうすると言うつもりはない。
 けれど、これだけはどうしても確かめたいと思っていた事が一つある。
「お前って、幽霊みたいだな」
「……あれ? 尾崎君?」
「俺が尾崎じゃなかったら、どうなるんだよ。その台詞?」
 卒業式、と言うものがある。
 幸いにも、中学校では留年すると言うのは案外難しい事だったりするのだが。それはそれとして、隔離室で真一はみっちり一ヶ月以上も勉強付けの日々を送っていた。
 真一が現実とも呼べる日常へ帰ってきてから、所属していた暴力団が解体されて主だった人々は方々へと姿を消していた。
 母親は、正和のことを思うと思うところがあるのだろうが。真一が帰ってきただけでも良しとしたいと言って、いつの間にか経営関係の仕事とやらに着手するようになっていた。
 驚いたのは、そこに忍が関与していたからなのだが、甘い話には裏があると言うか。案の定、それには条件付けが成されていた。
「ああ……そうだね、でも幽霊みたいって……なんだか、酷くない? その言い方」
 沢山の事が突然始まって、突然終わった。
 真一にとって必要な事といえば、まずは高校受験が出来るだけの学力をつけることから始まった。幸い、これまで培った知識は失っていなかった事などもあってさほど困らず。最終的には「これなら大検もいけるんじゃ?」と太鼓判を押されるほどにまでなった。
 あとは、その知識を持ってどこまで己の実力で成長させる事が出来るかが問題だ。
「結構探したのに、いつの間にかいなくなってるんだから……そりゃあ、幽霊だろう?」
 うちの親と同じこと言うんだもんなあ……などと優子は呟くが、どうやら普通の一般家庭と同じ程度の家族と言うものを持っているのだろうと言うことを始めて知った。
「お前、進学だって?」
「なんでお前とかって言うかな……うん、そうだよ。斑鳩学園高等部、僕の成績だと全然駄目なんで、裏口入学しました」
 笑いながら言うが、実はあながち嘘でもしゃれでもすまないのだから恐ろしい。
 正確には裏口と言うよりも一芸入試と言うのが正しいのだが、優子は人に聞かれたら笑いながらそう言うのであまり本気にされていないと言う所らしい。
「ああ、オカルト・マジッククラブとか言う部活の部長やるんだって?」
「あらま……どなたさん経由の情報?」
「色々、山中サンとか田中サンとか」
「忍め……って言うか、田中君。男だよ?」
 そんなのはわざとした言い回しなのだが、その当たりの事情を知らないだろう優子に教えてやる義理はないだろうと言う気がする。
「今日、あいつらは?」
「あいつら……って、忍とかの事?
 さあ……どうだろう? あっちも卒業式とか模試とか進学式とか仕事とか部活とかじゃないかなあ? 塾やめちゃってから、あんまりこれって付き合いないし」
「塾?」
 少しばかり、意外だと思った。
 優子は、はっきり言って周囲の生徒から胡散臭そうな目で見られている。表で裏で、影でこそこそと精神的なイジメをされているのだが、今は昔ほど堪えてると言う感じはない。
「うん、きゃおりとか田中君とはね。そこで……忍は、ちょっと違うんだけど……。
 で、皆がどうかした?」
「あいつらだったら、こう言う日は喜んで集まったりするんじゃないのかな……と」
 そうなったらそうなったで、今度は真一のプランが絶対的に完遂できないのはわかりきっているのだが、だからこそ余計にそう思ったのである。
「まさか、んなわけないって。どんだけ距離あると思って……ああ、えっと……うん。ほら、皆だって家庭の事情とかあるわけだし」
 微妙に追求したい言い回しがあった様な気がしたのだが、止めて置いた。
 今日、知りたい事はそこではない。
「俺、桜からあの後何度か連絡貰ってた」
「あう……忍、なんだって?」
「聴いてないわけ?」
 それは、意外だった。となれば、本当に心が狭い男なのだと言う判断をしてしまいそうで困った。とは言っても、ここで優子が嘘をついていると言う可能性は表情やらうめいた声やらから判断してなさそうだ。
 第一、そんな事をして優子にメリットがあるわけでもないのだから必要がない。
「なんでもかんでも、教えてくれたりしないもん。それより、僕に秘密にばっかりしてる事の方がどうしたって絶対的に多いよ」
 なるほど、一応は色々と把握していると言うことなのだろう。それでも深く把握しようとしないと言うのは、よく言えば信頼していると言う事が出来るし。悪く言えば、それだけ蔑ろにされていると言う事が当てはまる。
「ふうん……俺、中学卒業したら高校に進学とかしないんだ」
「ああ、それ知ってる。一時期話題になってたよね? なんでかって噂飛んでた」
 色々と飛び交う噂だけならばあったが、優子は学校では完璧に真一に興味がなかったらしく。そう言う意味でも本当につながりらしいつながりなど一つもなく……いや、結果的に真一も優子も、どちらもつながりを作ろうとしなかったと言う所なのだろう。本当は。
「俺、桜に言われて遠くに行くんだ」
「忍に……遠くって、どこに行くの?」
 忍が関係しているからなのか、それとも遠くだからと言われたせいか、優子の表情は隠す事なく曇る。
「あ、僕が聞いて良い事じゃないよね……」
「そうでもないんじゃないか? 本当に駄目なことなら、こんな事わざわざ教えたりしないわけだし」
「ああ……そっか。じゃあ、どうして?」
 単純に納得したのか、それとも影で囁かれる噂の一つの様に「どうせ裏ではろくでもないことをしている」と言う本当の顔なのか、それは真一にはよく判らない。
「とりあえず……北。かな?」
「……何それ?」
 真一は、とりあえず警察とか病院とか、これまでの諸々の事情を母親込みで忍が手を回したことを聞かされた。真一としては複雑な心中ではあるが、暴力団関係と言う。あってもなくても困る後ろ盾を失った真一は、確かに多少は世渡りが出来るかも知れない知識と能力を持っているかも知れないとうぬぼれる程度には持っているが、所詮は未成年の子供。
 同じ子供でも、金も権力もあらゆる能力を持っている忍に言われると反発心を起こしたくなるが。すでに神河優子と言う存在を介している以上、無意味に喧嘩などしたくないし以前の問題として取り押さえられるのがオチ。
「桜から言われたのは、とりあえず旅に出ろって事くらいで。そこから先は自力で帰って来いとか、その程度だからな」
 それでも、多少は援助をするとかしないとかあるのだ。もっとも、その真実はこれから一つずつ真一の前に明らかにされて行く事になるのだが、現時点に置いての優子も真一も、その事についてはまだ何も知らない。
「忍ったら……まさかと思うけど、皆にもそんな感じなのかなあ……」
 この場合の「皆」が、一体誰をさす言葉なのか……似たもの同士なので主語が足らず、やはり真一も優子も重要な意味ではお互いの会話が食い違っている事に全く気がつかない。
「まったく、忍も結構自分勝手だよねえ。何やってるんだか……って、何その嫌に色んな感情渦巻いてる視線は?」
 じろりと言うか、でろりと言うか、そんな感じで見つめられたら普通は困ると言うものである。そうなると、当然の事ながら優子はそう言う質問をしなくてはならないわけで。
「いや、どうでもいい」
「よりによってその台詞ですか……いいけど。
 んで……さ、話のメインって。何?」
 まさかとは思うが、優子にしてみれば「この話だけがしたくてわざわざ探したのか?」と言う気持ちを隠す事なく顔に表している。
 真一としては、実は……それでも良かった気がしていた。なし崩しと言うと話は違う気がするが、放置しておいてなかった事にしておいても構わない気がした。
「これ、くれないか?」
「……え、もしかしてこれって。まさか」
 今の今まで気がつかなかったのか、優子の表情は一気に真っ赤に染まる。
 卒業式の最中に泣き出す生徒達を見て、真一はもとより優子も「だからなに?」と言う表情も態度も全く崩さなかったのだ。
 真一はやる気のない態度を取っていた事から、優子は表情が全く動かない事からそれぞれ別の愛称で呼ばれていたりするのだが、それは全くの勘違いだと言えるだろう。
 何しろ、優子は今。こうして真っ赤に顔を染めて恥ずかしそうに顔を歪ませて、おたおたしてランダムに動く自動人形みたいな感じになっているのだから。
「な、なんでそんなボロボロのコート……って言うか、捨てていいのに……!」
 実際には、ボロボロになったのは真一に関わったからであって。軍用のレプリカコートは薄手ではあるがボロボロになっても丈夫だし、一枚でも割と寒さをしのぎやすいと言う利点もある。中に着込めば保温性は更に高まって、はっきり言ってそこいらの重たいコートなどは二度と見たくないと思うほどだ。
 その為、冬の間は結構使用頻度が高かった。
「だったら、くれ」
 流石に、雨の日などはコートの耐久性が落ちている事などを考えて着ない日もあったのだが。真一の仲間内からは結構言われたりしたのだ、それでも数日もすればそんな話はあっさりと成りを潜めたり強制的に潜めさせられたりするのだが。
「あげた覚え、ない事もないんだけど……」
「じゃあ、商談成立な?」
「商談って、僕。何も貰ってないけど?」
「くれるとかって言わなかったか?」
「言ったけど……けど、そっちだって商談とかいったんですけど、つい今しがた!」
 なんだか、真一は笑いたい気分だった。
 優子はこれから、高校生になる。真一はこれから、どことも知れない所へ旅に出る。
 接点など、もうないと言っても過言ではない。だから、これから二度と会わない為の冥土の土産に遣せとか言ったら、どんな反応をするだろうか? そんな悪戯心を呼び起こされそうな気がしたが、校内でも有名な無表情のいじめられっこが。実はこんな表情を持っていたなんて事は、きっとほとんどの噂に踊らされていた奴らは知らない。
 ほんの数ヶ月前まで、真一も知らなかった。
 突付いたら反応があると言うのは、行き過ぎると確かにきついけれど。一定の距離を保っている間は気楽だし、それに気づいた事が。
「結構言うね……」
「僕だって相手を選ぶよ、一応ね」
 加減が出来ないのが欠点だと言うからには、真一は「加減をしなくて良い相手」だと認識していると言うことなのだろう。
「だって、下手な子にやったらいじめになっちゃうでしょ?」
 それが良い事か悪い事かは……実を言えば、まだ判断がつかない。それが判るほど、真一は優子と付き合いがあるわけではないし、会話すらしていない。その意味からすれば、優子の周りの者達との付き合いの方が余程濃いと言えるだろうが、それはまた違う話だ。
「じゃあ、俺をやる」
「……僕さあ、これでも人身売買とかには興味ないんですけど。それに、君。これから旅に出るんじゃありませんでしたか?」
 呆れた、と顔には書いてある。
 どうやら、優子はある程度の付き合いが深くなったりすると表情が動く様になるらしい。
「うん、まあ……そうだよな」
「なに? もしかして煙草呑んでないと上手くしゃべれないとかいいます?」
 下手な事を言えば、漏れなく「冷たい視線」もオマケで付いてくるのは、やはり治さないと高校に進学しても苛めの理由になりそうな気はするのだが……とは、言わなかった。
「煙草を呑むって……」
「だって、言うでしょ? 元々、煙草の起源って水煙草なんだし。江戸時代から使われてるし、うちでは普通に使うよ?」
 そんな古い話、しらねぇっての……とも、言うのは憚られた。
「いいよ」
 考え込んでしまうと、優子が一言告げる。
「……何が?」
 歩き出した優子の後を、必然的に追いかける。誰かに見つかれば何か言われるかも知れないが、卒業した後でもう会うかどうかも判らない連中が勝手な憶測を立てるのに興味はない。もっとも、実家に住んだままになるだろう優子が、これから先誰かに何かをいわれることがあるかも知れないとは思うが。
 そのあたりは、これまでの経験もあるし自力で何とかしてもらおう。卑怯だが。
「だから、いいって」
 優子にしてみれば、どうやら会話は終わった事にされた様だ。しかし、真一にしてみれば何をもって「いい」のかが判らない。
「んと、別にコートの代金なんてくれなくていいし。人身売買に興味ないし、しかも対象が側にもいないんじゃ、それって対象にならないしってわけで、三段論法的にノーカウントで構わないって言ってるんだけど」
 嘘でも間違いでもないだろう台詞を聞いて、真一は今度こそ悩みだす。
 なんなのだろう、この妙に真面目な台詞は。
 これもまた、他の女子達に陰口を叩かれる原因になっていたのは確かだ。
 融通が利かなくて、いつだって「本当の事」を探り当てて突き通す……それは、悲しい事なのだという事を彼女達はまだ知らない。
 だが、知らなくても「怖い」と感じる事はあるのだろう。本能と言う部分で、だからこそ「排除」しようとするのもまた、本能の成せる技なのだ。
 だから、優子は何も言わないのだ。
「そう言うわけだから尾崎君……って、何? そのなんだか哀れみっぽい顔は?」
 実際、真一は哀れんでいた。
 それこそ、今の優子みたいに感情を欠片も隠す事なく表していた。隠す必要が、もうないからだと言う話も否定できないけれど。
「いや、その事については気にするな」
「他には気にして欲しい事があるの?」
 ちょっぴりうんざりした表情をするのは、何やら色々と背後でひしめき合っている「何か」でもあるのだろう。
「飛んででも帰るよ」
 優子は、一転してきょとんとした顔をする。
「神河が望むなら、俺の手が必要だと思ったらだけど」
 違うかも知れない、けれど。当たっているのかも知れないと思うから、そういった。
「お兄さんからの『相続』って事?」
 否定はしなかったが、肯定もしなかった。
 優子は少しだけ考え込んでいたみたいだったが、すぐに考えるのをやめたようだ。
「じゃあ、僕達が困ってたら。手、貸してくれるってわけ?」
「暇だったらなあ」
「おい……ま、でもいいや。その時は手を貸してね、ちょっぴり期待するから」
「ちょっぴりかよ……」
 やはり、真一は否定もしなければ肯定もしなかったのだが。その本当の意味を優子が知っているのかどうかは、よく判らない。
「そりゃあ、ねえ……」
 楽しそうに笑う姿は、これまでの学校で見た眠そうなソレではなくて。
「ああ、そうだ。じゃあ、それまでの間は尾崎君のお母さんとお兄さんは、こっちで様子を見てるね。もう大丈夫だろうとは思うけど」
 母親は、真一が帰ってきて数週間はかなりびくついていた。いつまた二人目の息子が病院送りだのなんだのと言う目に合うかも知れないと言う恐怖心があったからなのだが。真一が帰ってきてからは忍が裏から手を回して、母親にそれまでより実入りの良い仕事をさり気なく与え、正和の病院の事もそうだが真一の方にもさり気なく進路を決めさせた。
「ああ、そうだな。頼む」
 これによって、真一の母親はある程度の心の平穏をもたらされる事になるのだが。実際に次男がこれから、どんな経緯を歩む事になるのかを知ったら……恐らく、そんな台詞はどこを探しても出てこなかった事だろう。
 だが、一つだけ予測の付かない未来の中で楽しみにしている事がある。
「あ、そうだ」

 それは、始まりは拾ってもらえなかった捨て猫の様な自分に。自分自身のものではない傘を、差してくれた様な。
 二度目に出会ったときには、拾うどころか救ってすらくれた彼女と、同じ運命を共にする事を諦めた仲間達がもたらす未来。

「帰ってくる時は、お土産よろしくね?」
「はいはい……食べ物にしておくよ」


                                            終わり