「え……?」 どうにもならないと言う事と、真一が罰を受けると言う言葉のどこに関連性があるのか判らない。 「本当はね……本当は、そうしない為に。そうさせない為にね、お兄さんは僕のところへ来ようと、したと思うんだ。だけどね、結局君はここにこうして居るから、だから……」 判らないと、説明しろと、叫びたい気はして。だけど、そうする前に感情が爆発してしまって、どうしようもない感覚だけで一杯になってしまっているのが判った。 「罪を犯せば罰が生じる……幸いにも、貴方達は兄弟で共に罪を犯した。調度良かったですね」 「忍……そんな言い方……」 まだ何か色々と言いたい事があるのか、困った顔の優子の言葉に忍は一礼をするだけだ。 「それって……」 求めて、応えられない事に慣れてきてしまったのだろう。反射的に聞いても、返事が無いかもしれないと言う嫌な気持ちがした。 しかも、質問しても答えられない事が前提だという自分自身の想像にだ。 「お兄さんは、自分がその場にあろうとした『選んだと言う罪』で、君がそれに応える事が無かった『選ばなかったと言う罪』だよ」 優しく撫でる手は、止まる事がない。 この苛められっ子の女子中学生が幾らふくよかだとは言っても、大の大人がおとなしく膝枕される理由など真一には判らない。 「……なに、それ?」 だが、何故だろうかと言う気がする。 今の兄の姿を、真一は心の底から羨ましいと言う気がするのだ。 「お兄さんはね、ずっと……尾崎君に嫉妬してたの。だけどね、それを隠さなくてはならないって気持ちと隠したくないって気持ちにはさまれてずっと苦しんでたんだよ」 眠り続ける兄に注がれた視線は、中学生なのに優しくて。まるで、母親のそれの様で。 「嫉妬って……なんで……」 真一から見た兄は、天井天下唯我独尊と言う風な感じで家では過ごし。外では、強い者には媚びへつらい弱い者には居丈高で過ごしている非常に世渡りの上手い奴だと思った。 実際、真一が色々と尻拭いをさせられた上にそれが当然だと言う態度で押し付けられた事も多々ある……一度や二度ですまなかったあたりが、この兄弟を物語っているだろう。 弟である真一が暴力団事務所に出入りする様になった最大の理由の半分も、幹部からの情報を手に入れるためにと言うものだった。 「尾崎君とお兄さんはね、半分血が繋がってるけど。半分は繋がってないんだよ、だから尾崎君のお母さんとは確執があるんだ」 なんでそんな家庭の事情を知ってるのかとか、俺だって知らない事なのにとか、言いたい事は色々とあった様な気はしたけれど。 言われて見ると、なんだか納得してしまったせいだろう。 「尾崎君とは半分だけ兄弟だから、それでお父さんとお母さんは俺の事が嫌いだから……だから、俺はずっと我慢しなくちゃいけないのかって。泣いてたんだ」 それとも、二人して消えてる間に優子が正和から聞いたのだろうか? 「尾崎君が生まれて、その気持ちはもっと大きくなった。俺は弟が愛されるから親が愛してくれないんだって、だったらどうして俺を生んだんだって、どうしてコイツは何も知らないでのうのうと生きていられるんだ、だけど俺は兄だから駄目だって」 何度も、殺したいほど憎んで。殺したいほど愛したって気持ちに、挟まれたんだって。 風が、凪いだのを知った。 真一の頬に流れる涙は強風のそれによって横に飛ばされるのではなく、真下に落ちている事に気がついた。 「尾崎君のお母さん、夜の仕事とか多いでしょう? 元々、生活の時間帯が違うしお兄さんも周りから色々言われてたから、それを鵜呑みにしちゃったって事もあるんだろうね。 自分が誰かに好きで居てもらえるなんて、思ってもいなかったんだよ……だから、尾崎君の存在って。そんなお兄さんをお兄さんでいさせる楔で歯止めで、そして憎しみの具体的な対象だったんだって」 ぽつりぽつりと語られる言葉は、正和と母親からもたらされたものなのだと優子は言う。 病院で、偶然だが優子は母親に出会って。 「最初、泣いてたんだよ。尾崎君のお母さん、僕に向かって『友達がいたんだ』って、喜んでた。否定はしなかったよ、肯定もしなかったけどね、クラスメイトなのは本当だし」 真一を取り巻いていた仲間だと思っていた奴らは、情報操作されていた事もあって誰一人近づくものは無かったのだ。 「そして、なんとなく気がついていたんだって。もしかしたら、お兄さんはいつか尾崎君を殺してしまうかも知れない。その原因は尾崎君ではないのに、対象となるべき相手が居ないから尾崎君に全ての感情が向いてしまうんだって、でもどうしたら良いのかもう判らないからどうにも出来ないって」 母親の職業も、母親がしてきた事も、父親と言う存在も、弟も全てが憎しみの対象になるのは判っていたけれど。同時に全てを愛する気持ちもあったから、だから欲しかったのだと優子は言う。 「そんな時、知ってしまったんだ」 何を? とは聴かなかった。言われなくても、判るような気がしたと言うより判ってしまったと言うのが正しい。 「自分だけのもの、少なくとも尾崎君と共有しなくて良くて自分自身を愛してくれるかも知れない。そんな存在があるって」 だったら、女でも友達でも何でも好きに作れば良かったのに、とはいえなかった。 違うのだ、それはあくまでも他人で家族でもなんでもない。血のつながりとかではなくて、もっと消えない絆みたいなものが。 「だけど、僕はお兄さんだけのモノにはなれないって……言っちゃった」 こんな、別に美人でも可愛いわけでもないデブの女の子。ロリコンだと言われたら、とりあえず否定出来ない中学生を相手に欲しいと思うのは男女間の関係ではないと言う。 「最初から、それは判ってる事だったから。 そうしたら、ね。お兄さん『貴方も弟を選ぶのか?』って泣き出しちゃったの。でも、そんな事じゃない、僕は誰も選んだりしてない、皆がそう言うけど誰も選んだ事なんてないし何一つ『本当の願い』が適った事ないって事くらい知ってるじゃないかって」 判らない、一体何を言っているのか。 一体どこに、このクラスメイトと兄の間に接点があるのか。 「お兄さんね、喜んでた……僕や、僕の仲間達の事を知って。これで、もう他に考え込んだり苦しんだりすることなくなるんだって。 でもね、本当はそんな事ないんだよ。だって、どこに居ても誰と一緒で、嫌な事とか辛い事とか苦しい事なんてあるんだから。そう言う気持ちがないのって、求めるだけの気持ちでは、続かないんだよ……」 可哀想だと、優子の言葉は続けた。 一体、何に対しての「可哀想」なのだろうかと思ったけれど。それを尋ねる勇気は、残念ながら真一には持ち合わせていなかった。 「お兄さん、駄目だったの。受け入れ切れなかったの、それでも尾崎君が居なかったら必然的にそうなっていたんだろうけど。だけど、そんなのは僕がイヤだった、お兄さんの願いをかなえる為に尾崎君を消すって言うのがイヤだった」 だから、コレは僕の我侭なんだよ。 「一体……何に?」 「もう、そろそろ気づいていただいてもよろしいのではないですか?」 忍の言葉は、酷く冷たく聞こえた。 もっとも、それには「まだ居たんだ」と言う気持ちがとても強く感じられたからだと言うのもある。存在の無視と言うより、そこまで真一の許容量は大きくはなかったと言うのもある。 こんな風な状態になっているのに、心の片隅の一部では「病院に連れて行かなくてもいんだろうか?」とか「警察呼ばなくてもいいのだろうか?」とか、とりとめのない常識的な事を考え込んでいる自分自身を発見する。 結構、驚きだ。 つまり、今の状態と言うのはかなり真一にとって追い詰められているのだと本能が語っている事になる。なんていう解釈だって、出来てしまうと言う事だ。 「貴方が、兄を蹴落としたのだと言う事を」 |